ビワハヤヒデ死す

ビワハヤヒデが7/21に繋養されていた日高の日西牧場で亡くなりました。1990年生まれなので、今年でちょうど30歳。
サラブレッドの国内長寿記録はシャルロット(競走馬名:アローハマキヨ)という馬の40歳だそうですが、有名なところではシンザンの35歳、ノーザンテーストの33歳などがあり、それらと比べても長寿と言えるでしょう。
これまでも何度か危険な状態になったことはあったそうですが、なんとか持ち直していたものの、今回は立ち上がることができなくなり、最後は静かに息を引き取ったとのこと。ご冥福をお祈りします。

ビワハヤヒデは本格的に競馬を始めた直後に活躍したこともあり、とても思い出深い馬の1頭です。
その名前を初めて聞いたのは、2戦目のOPもみじSを勝ったあとでした。当時は関東で買える関西のレースは重賞のみで、したがってそれ以外のレースはテレビ中継もなかったので、どんなレースぶりかはわからなかったのですが、すごく強いらしいという評判だけが聞こえてきました。

その後、デイリー杯3歳Sで重賞初制覇を飾ると、朝日杯3歳Sで初めて関東にお目見えしました。
その成績はもちろん、タマモクロスからオグリキャップ、ホワイトストーン、さらにメジロマックイーン、プレクラスニーと続く強い馬のトレンドである葦毛であることも、人気に拍車をかけたと思います。

当時は特徴的な赤いメンコをつけていたので、のちに話題となる顔の白さや大きさは気づかなかったのですが、そのがっちりとした体は印象的でした。
さらに3年前に最低人気のサンドピアリスでエリザベス女王杯を制して売り出し中の、主戦の若手の岸滋彦騎手が、圧倒的1番人気の馬をどう乗るかも、注目されていました。

しかし1.3倍に支持されたビワハヤヒデは、直線の追い比べで南井騎手の乗る3番人気の外国産馬エルウェーウィンに、ハナ差で敗れてしまいます。
続く共同通信杯でも1.3倍の人気を裏切ってアタマ差2着。これで主戦の岸騎手は降ろされ、次の若葉Sからは当時のトップジョッキーの岡部騎手に乗り替わります。
若葉Sは8頭立てのOPということもあり楽勝するのですが、実はビワハヤヒデの関東での勝利は若葉Sと翌年のオールカマーのみ。関西では8戦して1度も負けなかったのに、関東では2・5・0・1と故障したレース以外連対は外さなかったものの、やや勝ちきれない印象。
個人的には岸騎手に同情してしまいます。

そして勇躍クラシックに向かったものの、皐月賞は好位から先頭に立ちウイニングチケットを抑えて勝ったかと思ったところを、外からナリタタイシンに差されてクビ差2着。
ダービーも好位から進めたものの、4コーナーで先に抜け出したウイニングチケットを最後まで捉えられず1/2馬身差でまたもや2着。
ともにビワハヤヒデを応援していたので悔しい思いをしました。特にダービーはビワハヤヒデしか見ていなかったので、終わってから勝ったのがウイニングチケットとわかった状況。柴田政人騎手の初ダービー制覇はよかったのですが、複雑な心境でもありました。

夏を無事に過ごしたビワハヤヒデは、初めてメンコを外して素顔で臨んだ神戸新聞杯を快勝し、最後の1冠の菊花賞に向かいます。
このとき初めて京都競馬場に菊花賞を見に行きました。当時大阪に住んだいた友人に案内されて4コーナー前のスタンド上段で見たのですが、目の前で抜け出したビワハヤヒデは直線で後続を離す一方。その後ろ姿を見ながら、ようやくG1を勝てたと喜んだことを覚えています。
終わってみれば2着ステージチャンプに5馬身差の圧勝。ビワハヤヒデの強さのみが印象に残りました。

そして次に臨んだのが年末のグランプリ有馬記念。菊花賞の強さが評価されて、3.0倍の1番人気に支持されました。しかしこの年は、JCを勝ったレガシーワールドや天皇賞(春)を圧勝したライスシャワー、同じ年のダービー馬ウイニングチケット、オークス馬ベガなどなかなかの豪華メンバー。さらに1年ぶりのトウカイテイオーもいて目移りします。
個人的には、大好きだったトウカイテイオーとビワハヤヒデが直線でたたき合いになったら、どちらの名前を叫ぼうかと思いながらも、常識的に1年ぶりの馬が来るわけないだろうとビワハヤヒデから連勝馬券を買い、トウカイテイオーは単勝を買ったことを覚えています。
そして結果はまさかのトウカイテイオー優勝。ビワハヤヒデはよく粘ったものの、1/2馬身差2着と引き立て役となってしまいました。

翌1994年は初戦京都記念を1.1秒差で圧勝した後、天皇賞(春)、宝塚記念とG1を連勝。現役最強馬を印象付けます。そして秋初戦のオールカマーも勝って、この年は負けなしの4連勝。
1歳下の弟ナリタブライアンが皐月賞、ダービーを勝って3冠馬を目指しており、年末に予想される兄弟対決に期待が寄せられていました。

そんな中、ビワハヤヒデが目指したのが天皇賞春・秋連覇。その天皇賞(秋)でも1.5倍の圧倒的な1番人気に支持されました。しかし当時、天皇賞(秋)は1番人気が勝てないのが有名で、1965年にシンザンが勝った後、1番人気で勝ったのは1984年ミスターシービー、1987年ニッポーテイオーのわずか2頭。
その後もオグリキャップが3年連続破れたり、1位入線のメジロマックイーンが18着降着になったりと人気通りには収まりません。

7年ぶりにビワハヤヒデが1番人気に応えるだろうと思っていたのですが、直線外から差を詰めてきたものの、いつもの力強い伸び脚が見られません。思わず頭を抱えてしまいました。
初めて連対を外す5位で入線した後、向こう正面で岡部騎手が下馬し心配したのですが、結局屈腱炎ということで引退が決まりました。
これで期待されていたナリタブライアンとの対戦もなくなり、とても残念に思ったことを覚えています。

引退後は日高の日西牧場に繋養されましたが、基本的に見学を受け付けていなかったため、残念ながら会いに行くことはできませんでした。しかし一度だけ、少し離れたところに車を止めて、遠くからビワハヤヒデの姿を眺めたことがあります。

最初の頃はコンスタントに産駒を出したものの、結局重賞勝ち馬を出すことはできず、2005年に種牡馬を引退。
昨年、たてがみを切られる被害にあって久々にその名前を聞いたものの、ネガティブな話題でしか取り上げられないのは皮肉だなと思っていました。

ともに走った同い年の皐月賞馬ナリタタイシンも今年の4月に亡くなっているのですが、ダービー馬のウイニングチケットは浦河のAERUで暮らしています。昨年会ってきましたが、とても元気でした。
ウイニングチケットもたてがみを切られる被害にあいましたが、その後見学も再開したとのこと。ビワハヤヒデの分も長生きしてほしいものです。

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