性別 | 牡 | 毛色 | 栗毛 |
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生年月日 | 1996年3月13日 | 所属 | 栗東・岩元市三厩舎 |
父 | オペラハウス | 母 | ワンスウエド (母父:ブラッシンググルーム) |
戦績 | 26戦14勝 (14・6・3・3) |
生産者 | 北海道浦河 杵臼牧場 |
馬主 | 竹園正繼 | 騎手 | 和田竜二 |
おもな 勝ち鞍 |
皐月賞(1999),天皇賞春(2000,2001),宝塚記念(2000),天皇賞秋(2000), ジャパンC(2000),有馬記念(2000),京都記念(2000),阪神大賞典(2000), 京都大賞典(2000,2001)、毎日杯(1999) |
- 競走馬の名前は、最初にその馬のイメージを決めるという面もある。もちろん名前がいいからといって走るわけではないが、G1は勝ちそうもないなという名前もある。馬主のセンスによると言ってしまえばそれまでだが。
そんな中、冠号+父の名前というパターンは結構ある。強い馬でもナリタブライアンやサイレンススズカなどはその例だが、テイエムオペラオーもまさにその1頭。さらにオーがついているところが、正直言って最初はどうかと思った。
4歳(1999年)
最初にその名前を意識したのは、毎日杯で4馬身ちぎって未勝利から3連勝を飾った時だった。当然次走は皐月賞に出走してきた。しかし毎日杯は裏街道という印象が強く、王道である弥生賞から臨んだアドマイヤベガ(ラジオたんぱ杯1着、弥生賞2着)やナリタトップロード(きさらぎ賞1着、弥生賞1着)からは差のある5番人気にとどまった。鞍上は当時デビュー4年目の和田竜二騎手。デビュー年にサージュウェルズでステイヤーズSを勝ち重賞初制覇を飾るなど、コンスタントに勝ち星は上げていたが、それほど目立つ成績ではなかった。自厩舎の馬ということでテイエムオペラオーのすべてのレースに騎乗することになるが、この時はG1実績のなさも、人気に反映していたかもしれない。
しかし個人的には、毎日杯の勝ちっぷりの良さに加えて、パドックでの落ち着いて堂々とした踏み込みの深い歩様を見て、テイエムオペラオーを中心に、相手はナリタトップロードをはじめ何頭かに流すことにした。
レースでは後方から進めたテイエムオペラオーは、4コーナーで大外を回りながら、直線は外から一気に追い込んで、内から抜けてきたオースミブライト、ナリタトップロードを豪快に差し切ってクビ差の1着。人馬ともに初G1制覇となった。
ちなみに2着のオースミブライト(6番人気)は京成杯を勝ちながら、熱発の影響でスプリングSを惨敗して人気を落としていたので、高配当でうれしかったことを覚えている。
こうなるとダービーでも応援したくなるもので、皐月賞と同じくテイエムオペラオーとナリタトップロードを中心に予想を組み立てた。しかしここで気になったのが、鞍上の若さだった。
ナリタトップロードの鞍上も6年目の渡辺薫彦騎手。こちらはあまり勝ち星に恵まれず、重賞は未勝利。そのナリタトップロードが1番人気、テイエムオペラオーが3番人気に支持されたが、ダービーは若手には厳しい舞台であることは、毎年見ていればよくわかる。
そこで気になったのが、前年ようやくダービージョッキーになっていた、武豊騎手の乗るアドマイヤベガ。皐月賞では1番人気に支持されたが、体調が整わずに-12kgで出走し6着に敗れていた。しかし追切りの動きはよく、パドックでも明らかに体調が戻っており+10kgでの出走。
レースではテイエムオペラオーは中団外を追走も、和田騎手は直線に入るとすぐに追い出し、残り400mすぎで早くも先頭に立つ。それを見てナリタトップロードの渡辺騎手も追い出す。若手騎手2頭の追い比べとなるが、ワンテンポ遅れて追い出したアドマイヤベガが最後にまとめて交わして優勝。武豊騎手のダービー2連覇となり、若い2人には悔しい敗戦となった。
ダービーのような大舞台では、いかに騎手の経験およびそれに基づく冷静さが大切かということを痛感させられたのだった。
秋は京都大賞典で復帰して3着。続く菊花賞は先に抜け出したナリタトップロードを猛追するもクビ差2着。1番人気のステイヤーズSもクビ差2着と惜敗を繰り返す。
きついローテーションが懸念された有馬記念は5番人気と評価を落としたが、直線は内から伸びて、最後は競り負けたものの、ハナ差の1着グラスワンダー、2着スペシャルウィークからクビ差の3着と好走。力のあるところを見せ、翌年に期待を持たせる結果だった。
5歳[旧年齢](2000年)
翌2000年、5歳(現4歳)になったテイエムオペラオーは、惜敗続きの前年とは打って変わって快挙を達成することになる。京都記念、阪神大賞典とG2を連勝すると、天皇賞(春)は先行するナリタトップロードをマークして直線抜け出し快勝。1番人気に応えて皐月賞以来のG1 2勝目を挙げる。
続く宝塚記念は春4戦目ということで、さすがに疲れがあったか、やや反応鈍く直線はメイショウドトウ、ジョービッグバンとたたき合いになるが、最後は抜け出してクビ差1着。負けなしで前半戦を終える。
ちなみにこのレースがメイショウドトウとの初対戦となったが、ここから1年間ライバル対決が続くことになる。
秋シーズンを迎えるにあたり話題になったのが、テイエムオペラオーによる古馬中長距離G1完全制覇がなるかということだった。春G1(天皇賞(春)、宝塚記念)連勝は何頭もいるが、秋G1(天皇賞(秋)、ジャパンC、有馬記念)3連勝はまだ達成した馬はおらず、さらに春秋全勝となると、とてつもなくハードルが高い。前年にスペシャルウィークが3勝2着2回と惜しいところまで迫ったが、宝塚記念、有馬記念の両グランプリでグラスワンダーの前に涙を呑んでいる。
その完全制覇を目指すために、一番の難関は天皇賞(秋)だと思われた。皐月賞を勝ってはいるが、血統的にも本質は距離伸びてよいと思われ、2000mのスピード争いに不安が感じられたのだ。さらに不利とされる外枠(7枠13番)、和田騎手が東京競馬場で未勝利などの材料も重なった。
そのためか、この年のG1 5戦のうち4戦でテイエムオペラオーは単勝1倍台の1番人気に支持されたが、天皇賞(秋)だけは1番人気ながら2.4倍となった。
しかし当日テイエムオペラオーに運が向いた。朝から雨が降り続き、レース前には上がったものの馬場状態は重。テイエムオペラオー自身は、この時点でやや重までしか経験がなかったが、父オペラハウスというヨーロッパ血統で重が不得意なわけがない。
好位を追走すると、直線では先に抜け出したメイショウドトウ、トゥナンテを余裕で交わして2 1/2馬身差の圧勝。終わってみればG1 5戦で一番の楽勝だった。
続くジャパンCは、ドバイシーマクラシックを勝っているUAEから参戦のファンタスティックライトが、デットーリ騎手騎乗で離れた2番人気に押されたものの、日本馬はほとんどが勝負付けが終わっていることもあり、テイエムオペラオーは1.5倍の1番人気。
レースはステイゴールドが逃げる超スローペースの展開となり、テイエムオペラオーは4コーナーから追いどおしとなったが、先に抜け出したメイショウドトウ、さらに外から伸びるファンタスティックライトとのたたき合いをぎりぎり制してクビ差の1着。
G1 5勝目となり、ついに古馬中長距離G1完全制覇に王手をかけた。
いよいよ最後の有馬記念。すでに秋4戦目で、前走ジャパンCは目いっぱいの勝負で辛勝ということもあり、疲れが心配され、またまぎれの多い中山ということもあって、テイエムオペラオーはやや落ちた1.7倍の1番人気。実際に調教は抑えめで、パドックもいつもよりおとなしい感じが気になった。
レースはスローで流れたため掛かり気味の馬が多く、馬群が詰まったこともありテイエムオペラオーはいつもより後方からの追走になる。この日は中山競馬場に見に行ったのだが、4コーナー寄りで見ていて、最後の直線で馬群が広がった際に、完全にテイエムオペラオーの姿を見失ってしまった。外からダイワテキサスが先頭に立つのが見え、この馬は買ってないと思いながら、訳も分からずテイエムオペラオーを応援する。
そして気づくとターフビジョンには、どこから抜けてきたのか、テイエムオペラオーがメイショウドトウを引き連れて、ダイワテキサスを交わして先頭に立つシーンが映っていた。
これでテイエムオペラオーは、史上初めて同一年の古馬中長距離G1完全制覇を達成し、G1 6勝目を飾る。
5歳[新年齢](2001年)
そして2001年、この年から馬の年齢の数え方が変わり、テイエムオペラオーは再び5歳として走ることになる。興味の焦点は、シンボリルドルフの芝G1最多勝記録である7勝を抜けるかということだったが、前年の活躍を見れば、かなり可能性は高いと思われていた。しかし初戦の産経大阪杯(当時G2)は体調が整わず4着に敗れてしまう。これで前年の京都記念から続いていた連勝は8で止まった。
続く天皇賞(春)は得意の京都の長距離だが、前走の敗戦もあって1番人気ながら2.0倍とやや倍率は落ちてしまう。しかしハイペースを中団で追走すると、先に抜け出したナリタトップロードを競り落とし、差してきたメイショウドトウを抑えて1着。ついにシンボリルドルフに並ぶ芝G1 7勝を挙げる。
ちなみにこれで前年の宝塚記念から、G1では5戦連続2着はメイショウドトウ。テイエムオペラオーがいなければ、メイショウドトウがG1 5連勝を達成していたわけで、生まれた年が悪かったとしか言いようがない。
次走は連覇を狙って宝塚記念に出走する。1.5倍の1番人気に支持されたが、先団後方から早めに先頭に立ったメイショウドトウに対して、後方にいて4コーナーで不利を受けたテイエムオペラオーは、直線を向いた時点でほぼ絶望的な差をつけられる。
それでも大外を懸命に追い上げたが、1 1/4馬身差2着まで。G1の連勝記録も6で止まり、5戦負けなしだったメイショウドトウにも初の敗戦を喫してしまう。
秋こそとG1 8勝目を目指して、京都大賞典を快勝して天皇賞(秋)に臨む。前年に続く得意の重馬場で、メイショウドトウを交わして先頭に立ったものの、離れた外を追い込んできたアグネスデジタルに交わされて1馬身差2着。
続くジャパンCも先行して絶好の手応えで抜け出し、勝ったと思ったところを、外から差を詰めてきたジャングルポケットにゴール前で交わされてクビ差2着。
なんとももどかしいレースぶりで連敗を喫してしまう。
そして最後のチャンスとなった有馬記念。連敗したとはいえ惜敗で、かつ得意の中山ということもあり、1.8倍の1番人気に支持される。しかしすでに余力は残っていなかったようで、3歳の菊花賞馬マンハッタンカフェに後ろから交わされ、逃げた牝馬トゥザヴィクトリーは捕まえられず、再びメイショウドトウの後塵も拝したが、掲示板に乗る5着に入ったのは、せめてもの意地だっただろう。
春にはかなりの確率で達成すると思われていた芝G1 8勝はついにならず、有馬記念を最後に引退となった。この後も芝G1 7勝で終わる馬が出るたびに「シンボリルドルフの呪い」などと言われたが、その最初がテイエムオペラオーだったかもしれない。
種牡馬として、その後
翌2002年1月13日に京都競馬場で、ライバルだったメイショウドトウとの合同引退式を行い、2003年からは日高軽種馬農協門別種馬場で種牡馬として繋養された。2007年に馬産地巡りをした際に門別種馬場を訪れてテイエムオペラオーにも会いに行ったが、残念ながら離れた場所の金網の向こうでじっとしており、しばらく待ってみたが全く動かず、あきらめて金網越しの写真を撮って帰ってきた。
種牡馬としては残念ながら活躍馬を出せず、重賞勝ちはテイエムトッパズレ(2009年 京都ハイジャンプなど障害重賞3勝)、テイエムエース(2008年 東京ハイジャンプ)の2頭のみ。平地ではOP勝ちが3頭と、自身の実績に比べるとかなり物足りない成績に終わった。
その後、居場所は転々としたようだが、2018年5月17日に心臓まひで亡くなった。享年22歳。
G1を7勝していながら、同世代にあまり強い馬がおらず、G1で2着がメイショウドトウかナリタトップロードと顔ぶれが変わらなかったこともあり、残念ながらあまり評価が高いとは言えない。種牡馬として実績を残せなかったことも、その一因だろう。
しかし着差が少ないとはいえ最後には勝ちきる勝負強さと、必ず上位に来る安定感、パドックでのある意味サラブレッドの理想のような歩く姿が、個人的にはとても印象的で、強く記憶に残る1頭である。
テイエムオペラオー 2007年9月18日 日高軽種馬農協門別種馬場