ステイゴールド

性別 毛色 黒鹿毛
生年月日 1994年3月24日 所属 栗東・池江泰郎厩舎
サンデーサイレンス ゴールデンサッシュ (母父:ディクタス)
戦績 50戦7勝
(7・12・8・23)
生産者 北海道白老町 白老ファーム
馬主 社台レースホース 騎手 O.ペリエ、熊沢重文、武豊、蛯名正義、
安藤勝己、後藤浩輝、藤田伸二
おもな
勝ち鞍
香港ヴァーズ(2001),目黒記念(2000),日経新春杯(2001),
ドバイシーマクラシック(2001)

 黄金の旅路 人智を超えた馬・ステイゴールドの物語

    競馬を見始めたころにオグリキャップが活躍し、トウカイテイオーミホノブルボンと2年連続で無敗のダービー馬誕生を見たこともあり、どうしても強い馬へのあこがれを感じてしまう。
    そうなると、善戦するけど勝ちきれないという馬は、あまり目が向かなくなる。それでもコンスタントに馬券になるのであれば、まだ相手として意識するのだが、善戦もあるが大敗もするいう馬は、いつ走るのかがわからず、ますますイメージが悪くなる。
    私にとってステイゴールドは、そんな馬の1頭で、現役時代は正直言って相性の良い馬ではなかった。

    4歳(1997年)

    その名前を初めて意識したのは、1997年の菊花賞だった。トライアルの京都新聞杯は4着に敗れて権利はとれなかったが、2走前の900万下(現2勝C)阿寒湖特別を勝った賞金でなんとか出走していた。
    しかし10番人気の伏兵で、好位で進めるもマチカネフクキタルの0.5秒差8着で、特に印象に残ることはなかった。

    5歳(1998年)

    年が明けて5歳(現4歳)になっても準OPを勝ちきれず、ダイヤモンドSを54kgで1 1/2馬身差2着に入り賞金を加算して、ようやくOP入りをした。

    そして日経賞4着を経て天皇賞(春)に挑戦する。
    しかし実績的に重賞未勝利と格下で、しかも馬体も+10kgながらも418kgとメンバー中だんとつの最軽量で見栄えもしない。戦績的に長距離は得意そうで、主戦騎手は意外性の熊沢騎手だったが、自信をもって馬券の対象外としていた。
    ところが中団から脚を伸ばすと、人気のメジロブライトには2馬身ちぎられたものの、実績馬ローゼンカバリーやシルクジャスティスには先着する2着に入る。10番人気の激走で、好配当の立役者となった。

    その後、目黒記念で3着に入ったこともあり、この時点の評価は長距離が得意なステイヤーというものだった。そのため宝塚記念は距離不足が懸念され、また天皇賞(春)もフロック視されて、42.3倍の9番人気と相変わらず評価は低かった。
    しかし中団から早めに進出し、逃げ切ったサイレンススズカの3/4馬身差2着に入ったことで、G1でも上位に来る力がある馬と認識されるようになったと思う。

    秋になり天皇賞(秋)では蛯名騎手が乗り、東京が得意(3戦して重賞2,3着を含む着外なし)ということもあって16.7倍の4番人気に支持された。個人的にも東京の2000mなら大丈夫だろうと2番手と見ていたが、馬券は1番人気のサイレンススズカからしか買っていなかった。
    そのサイレンススズカが4コーナーで競走を中止するという衝撃的なレースとなったが、ステイゴールドは好位から進めて最後は伸びきれなかったが、勝ったオフサイドトラップに1 1/4馬身差の2着と好走。G1で3度目の2着となった。

    続くジャパンCは再び熊沢騎手に手が戻るが、スペシャルウィークやエアグルーヴ、エルコンドルパサーなど実力馬が揃ったこともあり、6番人気と順番はやや落ちたが、オッズは12.4倍とやや下がった。
    レースは好位から進めたが、直線は失速して、先行して圧勝したエルコンドルパサーから1.4秒差10着と、久々の大敗を喫してしまう。

    そのため有馬記念は11番人気と急落するが、それに反発するように、グラスワンダー、メジロブライトには離されたものの、2 1/2馬身差3着に入る。相変わらず勝ちきれないが、走るときは走るという、馬券検討にはやっかいな存在になっていった。

    6歳(1999年)

    1999年に6歳(現5歳)になったステイゴールドは、上半期だけで京都記念から宝塚記念までG1,G2を6戦こなすというタフさを見せた。そのうち日経賞、金鯱賞、鳴尾記念、宝塚記念と4戦で3着に入るが、相変わらず善戦どまり。

    下半期は初戦の京都大賞典を先行退で6着に敗れ、ピークが過ぎたと見られたか天皇賞(秋)は12番人気と急落。ところが中団から脚を伸ばすと、勝ったスペシャルウィークの切れには及ばなかったもののクビ差の2着と、またも大穴をあける。
    ところがその後はジャパンC1.1秒差6着、有馬記念1.0秒差10着と、この年は尻すぼみに終わった。

    7歳[旧年齢](2000年)

    2000年に7歳(現6歳)となったが、相変わらずタフで、1月のAJCCから毎月1レースずつ出走する。そしてこの年は好調で、AJCC2着、京都記念3着、日経賞2着とG2で善戦を繰り返す。
    そして3年連続出走となった天皇賞(春)では好位からしぶとく粘り、テイエムオペラオー以下上位3頭には離されるも、人気と同じ4着に好走。3年連続で掲示板を確保したが、やはり勝ちきれないという課題は克服できなかった。

    これで3歳夏の阿寒湖特別(900万下)を勝ってから、G1での2着4回を含む28連敗。その間、けがによる休みもなく、「無事これ名馬」を地で行く戦歴ではあったが、なんとももどかしい成績で、関係者の苦労がしのばれる。

    しかしそれがついに報われる時が来た。
    ステイゴールドは次走、2年半ぶりに武豊騎手を鞍上に迎えて目黒記念に出走。2.8倍の1番人気に支持される。
    レースでは中団外を追走すると、直線は内を突いてするすると進出。先に抜け出したマチカネキンノホシを残り200mでとらえると1馬身抜け出す。そのままの態勢でゴールを目指すと、G1並みの大歓声と拍手が巻き起こる。最後まで脚を伸ばし、1 1/4馬身差で待ちわびた1着のゴール。2年8か月ぶりの勝利で重賞初制覇となった。
    残念ながら当日はライブでの観戦はできなかったが、メディアなどでの反響は大きく、いかに多くのファンが期待をしていたかを改めて感じさせられた。

    その後、宝塚記念4着からオールカマー5着を経て、秋は王道であるG1 3戦に参戦するも7,8着どまり。宝塚記念の4着が最高と、残念ながらまた元のステイゴールドに戻ってしまう。

    7歳[新年齢](2001年)

    ところが2001年初戦の日経新春杯は、藤田騎手鞍上でトップハンデの58.5kgを背負いながら先行して抜け出し、あっさりと重賞2勝目をマーク。
    さらにトゥザヴィクトリーの帯同馬としてドバイに遠征。再び武豊騎手が乗って、この年から国際G2になったドバイシーマクラシック(ナド・アルシバ 芝2400m)に出走すると、前年の覇者ファンタスティックライトをハナ差で下して海外重賞初制覇。500万下を勝った時以来の久々の連勝を飾る。

    しかし帰国後は、またもや敗戦を重ねる。京都大賞典ではテイエムオペラオーを押さえて1位入線するものの、進路妨害で失格となる不運もあり、さらに天皇賞(秋)、ジャパンCと武豊騎手でも勝つことはできなかった。

    そして陣営は引退レースとして、年末の香港ヴァーズ(国際G1 シャティン 芝2400m)を選ぶ。
    1番人気に支持された武豊騎手鞍上のステイゴールドは、後方追走から4コーナー手前で進出すると、直線は先に抜け出したデットーリ騎手騎乗のエクラールを追って猛然と差を詰める。絶望的な差かと思われたが、ゴール直前で一気に差が詰まり、ゴールの瞬間にステイゴールドが差し切っていた。
    最後のレースで劇的な勝利を飾り、G1初制覇を達成。キャリア50戦目の快挙だった。

    この年、海外のレースで2勝をあげ、かつ日本馬として初めて海外の国際G1を勝ったことも評価されて、JRA賞特別賞を受賞した。

    種牡馬として、その後

    2001年限りで競走生活を引退し、種牡馬入りしたステイゴールドだが、競走実績が目立たないことや小柄な馬体、サンデーサイレンス直子の種牡馬が多いことなどから、種付け料は安く、それほど大きな期待は掛けられていなかったことがわかる。

    しかしそれは逆の意味で裏切られることになる。サンデーサイレンス産駒としては安価ということで種付け希望が多く、産駒が多かったこともあるが、初年度産駒からソリッドプラチナムが3歳馬ながらマーメイドSを制して産駒重賞初制覇。
    さらに2年目産駒のドリームジャーニーが2006年の朝日杯FSを勝って、早くもG1初制覇を達成。そのドリームジャーニーは2009年の宝塚記念、有馬記念を制し、さらに全弟のオルフェーヴルは2011年の3歳3冠をはじめG1を6勝し、凱旋門賞でも2着2回と大活躍した。

    ほかにもナカヤマフェスタ、ゴールドシップ、フェノーメノ、インディチャンプ、オジュウチョウサン、ウインブライトなど国内外、平地障害問わず、マイルから4000m超までさまざまな距離で活躍する産駒を送り出し、産駒のG1勝ちは31と、押しも押されもしない大種牡馬の1頭となった。
    特にメジロマックイーン産駒の牝馬とは相性が良く、ドリームジャーニー、オルフェーヴル兄弟やゴールドシップを輩出し、注目を浴びた。

    そんなステイゴールドも2015年2月5日、種付け後に調子を崩し急死。21歳とまだ活躍が期待された中での死だった。

    現役時代は勝ちきれない馬という印象が強く、種牡馬となってからの評価が高いという珍しいタイプの馬だが、競走成績も産駒の特徴もサンデーサイレンス産駒として一般的にイメージされるものとはかなり違っていて、そういう意味ではかなり個性的な馬だと思う。
    サンデーサイレンス産駒の代表といえばディープインパクトだと思うが、その産駒の特徴はスピードや切れで、ある意味優等生的な感じがある。
    対してステイゴールド産駒はオルフェーヴルに代表されるように、やんちゃで馬場状態や距離も問わず、特に海外での活躍が象徴するように、精神的な強さというものを感じる。

    実際にステイゴールド自身も気性的には非常にきつかったそうで、関係者の苦労話は事欠かない。しかしそれらを読むと、同時にとても賢かったこともよくわかり、それはある意味、父のサンデーサイレンスからストレートに受け継がれた性質でもあったようだ。

    2007年に馬産地を訪れた時に、ビッグレッドファームでステイゴールドに会っている。当時は見学時間は厩舎の中にいたのだが、なかなか顔を出してくれず、ちょっと残念に思っていた。
    しかし一眼レフカメラを持った熱心な女性ファンの方が、時間をかけて誘い出してくれて、ラッキーなことに写真を撮ることができた。その時の印象はとても穏やかな感じだったが、納得しない限り人の言うことは聞かないという、その性格の片りんは見せてくれたと思う。

    2019年に再度北海道を訪れた時に、ブリーダーズSSの敷地の奥、いくつかの馬のお墓の中に、ステイゴールドのお墓もあった。今でもファンによる花が絶えず、愛されていた馬なのだなとあらためて感じた。

    ステイゴールドステイゴールド 2007年9月19日 ビッグレッドファーム

    ステイゴールドステイゴールド 2007年9月19日 ビッグレッドファーム

    ステイゴールドステイゴールド 2007年9月19日 ビッグレッドファーム

    ステイゴールドステイゴールド 2007年9月19日 ビッグレッドファーム

    ステイゴールドのお墓ステイゴールドのお墓 2019年8月25日 ブリーダーズSS