エルコンドルパサー

性別 毛色 黒鹿毛
生年月日 1995年3月17日 所属 美浦・二ノ宮敬宇厩舎
キングマンボ サドラーズギャル (母父:サドラーズウェルズ)
戦績 11戦8勝
(8・3・0・0)
生産者 アメリカ 渡邊隆
馬主 渡邊隆 騎手 的場均,蛯名正義
おもな
勝ち鞍
NHKマイルC(1998),ジャパンカップ(1998),サンクルー大賞(1999),
ニュージーランドトロフィー4歳S(1998),フォア賞(1999)

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    4歳(1998年)

    エルコンドルパサーの名前を初めて聞いたのは、2戦目の1998年1月11日、中山ダート1800m500万下を9馬身差で圧勝し、次走に共同通信杯を目指すというニュースが出た時だったと思う。
    サイモン&ガーファンクルでも有名な「コンドルは飛んで行く」の原題を名付けられた馬は、父キングマンボ、母父サドラーズウェルズというヨーロッパを代表する名馬の血を引く外国産馬で、血統からも芝でこそと期待されていた。しかし体ができあがっていないからと使ったダートで、新馬、500万下といずれも2着に1秒以上の差をつける楽勝。初めての芝のレースでどんな走りをするか、にわか仕込みの知識ではあったが、とても期待していた。

    ところが2月15日の共同通信杯は、降雪によりダートに変更されてしまう。実績のあるダートでしかも500万下と同じく不良のコンディション。エルコンドルパサーは単勝1.2倍の期待に応えて快勝し、無敗で重賞勝ち馬となった。
    そして次走、仕切り直しの初芝のレースは、当時東京の芝1400mで行われていたニュージーランドトロフィー4歳Sとなった。まだ外国産馬のクラシックへの出走が認められていなかった当時は、必然的にNHKマイルCを目指すしかなく、距離不足の懸念はあったが、ここに出走してきた。
    初めての芝レースにもかかわらず、ダートの強さを評価されて2.0倍の1番人気に支持されたエルコンドルパサーは、スタートでやや出遅れるも、中団から抜け出して2馬身差の勝利。芝もあっさりとこなし、デビュー4連勝でNHKマイルCに向かう。

    デビュー以来、鞍上は関東の名手的場均騎手が務めていたが、的場騎手には朝日杯3歳Sを無敗で制したグラスワンダーというお手馬もおり、いずれは対戦することが必至なので、どちらを選ぶのかというのが、エルコンドルパサーが勝ち進むにつれて、興味の的になっていった。
    当の的場騎手もかなり悩んだそうだが、ニュージーランドトロフィーの前にグラスワンダーの骨折が判明する。これにより春は2頭の直接対決はなくなり、NHKマイルCも的場騎手が騎乗することになった。

    NHKマイルCでは、前哨戦を無敗で制したこともあり、エルコンドルパサーは単勝1.8倍の圧倒的な1番人気に支持される。
     好位の外を追走したエルコンドルパサーは、抑えきれない手ごたえで3コーナー過ぎから前に取り付き、4コーナーは外から先頭に並びかける。直線に入るとすぐに先頭に立ち、後続も懸命に粘るが余裕の手ごたえでゴールを目指す。最後は2着シンコウエドワードに1 3/4馬身差で無敗でのG1制覇となった。
    人気の割にはあまり着差が離れなかったが、手応え的には楽勝という感じだった。しかし個人的には無敗できたシンコウエドワードをなぜか買っておらず、外してしまった悔しい記憶がある。

    エルコンドルパサーは、新たに蛯名正騎手とコンビを組んで秋はジャパンCを目指すことになり、休み明けの初戦として毎日王冠が選ばれた。ここには金鯱賞で衝撃的な大差の逃げ切り勝ちの後、宝塚記念でG1初勝利を挙げた武豊騎手騎乗の快速馬サイレンススズカと、朝日杯3歳Sを無敗で制した後骨折で休養していた的場騎手鞍上のグラスワンダーも出走し、この3頭の対決はいやが上にも盛り上がった。
    実際に東京競馬場に見に行ったが、G1のようにファンファーレに合わせた手拍子と、そのあとの大歓声。G2で聞いたのはあの時が初めてだったと思う。

    レースは好スタートから無理なくハナを切るサイレンススズカを、エルコンドルパサーは好位で追走。グラスワンダーは中団の外。サイレンススズカはマイペースで徐々に後方を引き離すが、グラスワンダーが動いて4コーナーでは1/2馬身差外まで追い上げる。
    しかし直線に入ると、馬なりでサイレンススズカが抜け出し、それを大きく外によれながらもただ1頭追いすがったのがエルコンドルパサーだった。そのままサイレンススズカは余裕の先頭ゴール。これが無事にゴールした最後のレースになったが、その強さだけが印象に残った。エルコンドルパサーはゴール前で差を詰めるも2 1/2馬身差2着と、初の敗戦を喫した。ただし休み明けで初の古馬相手のパフォーマンスとしては、レベルが高かったことが、あとで証明されることになる。

    続いてエルコンドルパサーはジャパンCに出走する。この年は外国馬にめぼしい馬が少なく、日本馬が人気の中心だった。エルコンドルパサーは、それまで1800mまでしか経験がなく距離不安がささやかれたこともあり、スペシャルウイーク、エアグルーヴに次ぐ3番人気。
    しかしスムーズに先行すると、直線は早めに抜け出し、追ってくるエアグルーヴ、スペシャルウイークを寄せ付けない。最後は2頭を突き放す強さを見せ、エアグルーヴに2 1/2馬身差の圧勝だった。NHKマイルCに続くG1 2勝目となり、最優秀4歳牡馬にも選出。
    結果的にこれが国内最後のレースとなったが、距離に対する不安もなくなり、翌年の海外遠征に大きな望みを持たせることになった。

    5歳(1999年)

    年が明けた1999年、正式に凱旋門賞に挑戦することが発表された。それまで日本の馬で凱旋門賞に出たのはわずか3頭。いずれも着外に敗れていたが、最後の挑戦は1986年のシリウスシンボリということでノウハウも少なく、ヨーロッパに腰を据えて滞在し、現地に適応していく方針を取ることになった。
    4月に渡仏したエルコンドルパサーは、最初は丈の長い芝で時計のかかる現地の馬場にとまどっていたらしいが、徐々に慣れていったという。そして5月に出走したG1イスパーン賞(芝1850m)で2着に入ると、7月のG1サンクルー大賞(2400m)では、距離と斤量61kgを克服して、日本馬として初めてヨーロッパのG1を勝利。前年の凱旋門賞勝ち馬など出走馬のレベルは高く、かなりの偉業で凱旋門賞への期待は高まったが、国内での話題はそれほどでもなかった。

    その後、凱旋門賞と同じ舞台で行われるフォア賞を勝って凱旋門賞に臨む。この年のパリは天候不順で、馬場状態は不良レベル。ニュージーランドトロフィーなど重での実績はあったが、フランスの重い馬場への不安は少なからずあった。
    ヨーロッパの競馬を生中継で見るのはこの時が初めてだったが、日本とはかなり違うシステムが興味深かったのを覚えている。日本はパドックも返し馬もスタートも、時間きっちりでシステマチックだが、フランスでは特に合図らしいものもなく、発送時刻も不明確で、日本のようなファンファーレもない。いつの間にかゲート入りが始まり、全馬が入ってしばらくするとスタートが切られた。

    最内枠なので包まれることを心配したが、エルコンドルパサーは好スタートを切ると、押し出されるように先頭に立つ。ヨーロッパらしく一団となった馬群を1頭だけ2~3馬身ほど抜けて先行し、今度はペースが速いのではと、心配は尽きない。しかし軽快に飛ばしていく走り姿はきっちりと折り合っており、大丈夫だろうと納得しようとする。
    やたらとカーブの多いコースも物珍しく、ドキドキしながらもどんな展開になるのかと、日本との違いが興味深い。
    フォルスストレートと呼ばれる直線で後続が迫ってきたが、エルコンドルパサーの蛯名騎手は手綱を抑えたままで、まだ余裕が感じられる。そして最後のコーナーを先頭で回って直線へ。あと500mというアナウンスの声に、まだそんなにあるのかと緊張感が増す。

    2,3番手の馬が懸命に追う中、まだ蛯名騎手の動きは大きくなく、それでも後続を離し始める。これは行けるのではないかと、テレビに向かって声援を送る。蛯名騎手が追うとどんどんと差を広げて、興奮も最高潮に達してくるが、馬群から1頭だけじりじりと差を詰めてくる馬がいた。1番人気のフランス馬モンジューだ。夜中にも関わらず大声で応援するが、ゴール直前でモンジューがエルコンドルパサーを交わす。それでもエルコンドルパサーは懸命に粘るが、1/2馬身差は変わらず、悔しい2着でのゴールとなった。
    3着以下は大きく離れ、エルコンドルパサーが力のあることを世界に示せたのが、せめてもの救いだった。

    帰国したエルコンドルパサーは、その後レースに出ることなく引退。モンジューなど凱旋門賞で対戦した馬たちが参戦したジャパンC当日に、東京競馬場で引退式が行われた。

    実際にレースを見る機会が少なかったのは残念だったが、海外での活躍は大きなインパクトを競馬ファンに与えたと思う。それもあってか、その年は国内で1戦もしていないにも関わらず、年度代表馬に選ばれた。

    種牡馬として

    引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となった。2000年に訪れた時、残念ながらエルコンドルパサーには会えず、次の機会には是非と思っていたが、2002年に腸ねん転で急死してしまう。
    残された産駒はわずか3世代だったが、その中からはフェブラリーSやJCダート、JBCクラシックをはじめG1を9勝したヴァーミリアンや、菊花賞を勝ったソングオブウインド、JCダートを勝ったアロンダイト、阪神大賞典、ステイヤーズSと長距離で活躍したトウカイトリックなど多彩な活躍馬を生みだした。もっと長生きしていたら、さらに優れた産駒を生み出した可能性もあったと思うと、とても残念に思う。

    そしてエルコンドルパサーのあとは、凱旋門賞に出走する日本馬が増え、ヨーロッパ遠征のパイオニアとなった。そのパフォーマンスは日本の競馬関係者に勇気を与えるものだったし、それがなければナカヤマフェスタやオルフェーヴルの好走もなかったかもしれない。それもあって、エルコンドルパサーは2014年に顕彰馬に選ばれている。
    今後もし凱旋門賞を制する日本馬が誕生したら、改めてエルコンドルパサーの偉業も評価されるだろう。