サイレンススズカ

性別 毛色 栗毛
生年月日 1994年5月1日 所属 栗東・橋田満厩舎
サンデーサイレンス ワキア (母父:ミスワキ)
戦績 16戦9勝
(9・1・0・6)
生産者 北海道平取 稲原牧場
馬主 永井啓弍 騎手 上村洋行,河内洋,武豊,南井克己
おもな
勝ち鞍
宝塚記念(1998),中山記念(1998),金鯱賞(1998),
毎日王冠(1998),小倉大賞典(1998)

 サイレンススズカ スピードの向こう側へ… [DVD]

    4歳(1997年)

    サンデーサイレンスの3世代目の産駒サイレンススズカがデビューしたのは、1997年2月だった。すでに初年度産駒からダービー馬を輩出するなど種牡馬としてのサンデーサイレンスは注目されており、新馬戦を逃げて7馬身差の圧勝と派手なデビューを飾ったサイレンススズカは、その後の動向が注目された。

    そして2戦目は弥生賞に出走する。いきなりの重賞挑戦は驚きではあったが、未知の可能性への期待もあり2番人気に支持された。私も期待をもってテレビで見ていたが、ゲート入りしたあとに、無理やりゲートをくぐって鞍上の上村騎手を振り落とし、ゲートの外に出てしまう。
    外枠発走になったサイレンススズカは、その影響もあってか大きく出遅れ、道中で徐々にポジションを上げて4コーナーでは先行集団に取り付くも、結局1.5秒差の8着と大敗を喫する。
    解説の大川慶次郎氏が、馬の将来性も考えると2戦目の重賞挑戦は無謀だと言ったんだと、かなり強く批判していたことを覚えている。実際にこのことが影響したのかはわからないが、その後のサイレンススズカは期待とは裏腹に、成績的にはやや低迷した印象を受ける。

    1か月後の500万下(現1勝C)は逃げ切って1.1秒差で楽勝し、何としてもダービーには出したいということで出走したダービートライアルのプリンシパルSも先行して、のちの菊花賞馬マチカネフクキタルをクビ差抑えて1着。
    ダービーでは4番人気に支持されるも、折り合いを欠いて先行し、逃げ切ったサニーブライアンに1.1秒も離される9着と惨敗した。結果的には抑えたことで良さを消したということもあるが、やはり押せ押せのきついローテーションも影響したのだろう。

    その後、サイレンススズカは神戸新聞杯で逃げて2着に敗れると、河内騎手に乗り替わった天皇賞(秋)は8着、マイルCSは15着とG1で敗戦を繰り返す。いずれも掛かって先行して末をなくし、気性面の課題がうかがわれた。
    力はあるのに、気性難から大成できない馬がいるが、サイレンススズカもそんな馬の1頭なのではという評価が、個人的には高くなっていった。

    1997年暮れの香港から武豊騎手に乗り替わったサイレンススズカは、その香港国際Cこそ逃げて5着に敗れたものの、武騎手はサイレンススズカの能力をこのレースで大きく感じたという。

    5歳(1998年)

    翌1998年に帰国初戦のOPバレンタインSを4馬身差で逃げ切って、プリンシパルS以来の久々の勝利をあげる。そこから中山記念で重賞初制覇を飾ると、中京で行われた小倉大賞典と重賞を逃げて連勝。
    圧巻だったのは、次の金鯱賞だった。2.0倍の1番人気に支持され好スタートを切ると、58kgを背負いながらも1000mを58.1のハイペースで逃げる。どんどんと後続を離すと、4コーナーを回った時点ですでにセーフティリード。結局2着に1.8秒の大差をつける圧勝で重賞3連勝。
    ハイスピードで逃げてそのままゴールまで持たせるという派手なパフォーマンスは大きな話題となり、次はどんなレースを見せてくれるのかワクワクさせられるという意味で、個人的にも改めて注目することになった。

    そしていよいよG1制覇を目指して宝塚記念に出走してきた。
    武豊騎手がエアグルーヴに先約があったため南井騎手に乗り替わったサイレンススズカは、大外の13番枠からの出走にもかかわらず、好スタートを切ると内に寄せていき先頭を切る。馬なりで無理なく走っているように見えても1000mは58.6。向こう正面ではじわじわと後続を離し、3コーナー手前では2番手に10馬身ほど差をつける。
    その後、後続も差を詰め、直線ではステイゴールドやエアグルーヴが猛追するが、3/4馬身差で逃げ切って、初G1制覇を果たした。

    そして秋初戦に選んだのが毎日王冠。このレースは今では伝説のレースともいわれるが、その理由は無敗の3歳G1馬2頭が挑戦してきたことだった。
    1頭はデビューから5戦無敗でNHKマイルCを制したエルコンドルパサー。そしてもう1頭が4戦無敗で朝日杯3歳S(現朝日杯FS)を勝ったグラスワンダー。グラスワンダーはそれ以来の骨折による休み明けだったが、勝った時のパフォーマンスと、両方の主戦だった的場均騎手が選んだということもあったのか2番人気に支持され、エルコンドルパサーが3番人気。その年のジャパンCと有馬記念を勝つことになる無敗の実力馬2頭を向こうに回しても、サイレンススズカは1.4倍の圧倒的な1番人気に支持された。
    実際にレースを東京競馬場に見に行ったが、9頭立ての少頭数にもかかわらず、盛り上がりはG1並みで、ファンファーレでの手拍子も、そのあとも歓声も、G2では経験したことがないもの。ファンの期待の大きさを強く感じた。

    武豊騎手に手が戻ったサイレンススズカは、2番枠から好スタートを切るとすぐに先頭に立ち、じりじりと後続を離していく。エルコンドルパサーは好位につけ、やや出遅れたグラスワンダーは外を通って少しずつポジションを上げていく。
    サイレンススズカは、それほどの大逃げとはせず3,4馬身差でハナを切るが、歓声が大きくなったのは、4コーナー手前で外からグラスワンダーが一気に迫ってきた時だった。4コーナーを1馬身差の先頭で回ったサイレンススズカだが、そこから追い出すと後続を突き放していく。長期休み明けが響いたのかグラスワンダーは後退していき、代わって上がってきたエルコンドルパサーも初めての強敵相手に大きく外によれるが、それでも離れた2番手から前を追う。
    しかし馬場の良い内ラチ沿いで力強く脚を伸ばしたサイレンススズカは、エルコンドルパサーに2 1/2馬身差をつけて余裕の1着ゴール。結果としてエルコンドルパサーに国内で唯一土をつけることになった。

    そして迎えた天皇賞(秋)。サイレンススズカは、そのスピード感あふれる強いパフォーマンスと、すでに勝負付けが終わった馬たちが多いということから、1.2倍という圧倒的な支持を受けた。多くのファンも私も、勝つか負けるかよりも、どんな勝ち方をするのかということに大いに関心があったと思う。

    絶好枠の1番から好スタートを切ったサイレンススズカは、いつものようにスピードに乗ってぐんぐんと後続を離していく。その差は向こう正面に入ってすぐに7,8馬身はあったと思う。
    あの日は幸運にも指定席に入れたので、道中の差を感じるためにも、あえてターフビジョンではなく、実際の展開を見ていた。その後もサイレンススズカは、マイペースで飛ばして、2番手のサイレントハンターとは10馬身ほど、さらにそこから3番手のオフサイドトラップまでも7,8馬身離れるという大逃げになった。
    その1000m通過は57.4。このままサイレンススズカが逃げ切るのか、それとも直線でつかまるのか。果たしてどんな結果になるのか、とてもわくわくしながら見ていたことを覚えている。

    しかしそんなわくわく感が、突然暗転する。大ケヤキを過ぎたところで、急にサイレンススズカが失速したのだ。あわててターフビジョンに目を移すと、武豊騎手が他馬の邪魔にならないよう外に誘導しながら、馬を止めようとしている。瞬時に故障したことがわかった。
    その横をサイレントハンター以下の馬群が通り過ぎていく。サイレンススズカが競走中止した以上、馬券的にはほとんど関係ないが、最後までレースを見届けて、オフサイドトラップが勝ってステイゴールドがまた2着に入ったことは確認した。
    そして4コーナーに目を戻す。武豊騎手が下馬したサイレンススズカの状態は、遠くからではわからないが、ライスシャワーのように転倒することはなく止まったので、なんとか最悪の事態になることは避けられるのではと、淡い期待を持って見守るしかなかった。

    しかしなんとか命だけはという祈りもむなしく、予後不良の診断で安楽死となったことを後で知る。
    その卓越したスピードと、それを最後まで持続させるレースぶりは唯一無二のものであり、それを見る機会が永遠に失われたとともに、その才能を受け継ぐ産駒を見る可能性もなくなったということで、二重の意味でとても残念だった。
    武豊騎手もその夜は泥酔したということで、才能を実感していたがゆえに、その喪失感は誰よりも大きかったのだろう。

    その後はときどき大逃げで話題になる馬はいるが、サイレンススズカのようにG1でもハイペースで逃げて逃げ切ってしまうような馬は出てきていない。能力がないとできない芸当でもあり、好位差しが勝つためには最適とされる今の競馬では、あのような個性は最後の存在になってしまうのだろうか。