オルフェーヴル

性別 毛色 栗毛
生年月日 2008年5月14日 所属 栗東・池江泰寿厩舎
ステイゴールド オリエンタルアート (母父:メジロマックイーン)
戦績 21戦12勝
(12・6・1・2)
生産者 北海道白老 社台コーポレーション白老ファーム
馬主 サンデーレーシング 騎手 池添謙一、C.スミヨン
おもな
勝ち鞍
皐月賞(2011),ダービー(2011),菊花賞(2011),有馬記念(2011),
宝塚記念(2012),有馬記念(2013),スプリングS(2011),
神戸新聞杯(2011),フォワ賞(2012,2013),産経大阪杯(2013)

 オルフェーヴル ~金色の伝説~ [Blu-ray]

    3歳牡馬3冠は競馬界で最も偉大な称号の一つだろう。中央競馬では2021年時点で8頭の3冠馬が生まれており、個人的にはそのうち4頭の達成を見ている。そしてその多くが皐月賞の時点で3冠を意識させる成績を残していたが、唯一違ったのがオルフェーヴルだった(オルフェーヴル以外の7頭すべて皐月賞は1番人気1着)。おそらく皐月賞の前にオルフェーヴルが3冠馬になると思った人は、ほぼいなかっただろう。
    しかし結果として歴史に残る成績を残し、また個性的という意味で強く記憶に残る1頭となった。

    2歳(2010年)

    オルフェーヴルがデビューしたのは、2010年8月14日の新潟芝1600m新馬戦。前年の宝塚記念、有馬記念を勝ってG1 3勝をあげたドリームジャーニーの全弟ということもあり、3.0倍の2番人気となり、1 1/2馬身差で快勝する。ところがゴール後に池添騎手を振り落として放馬し、気性の難しさの一端を見せている。
    その後、休み明けの芙蓉Sでホエールキャプチャのクビ差2着に敗れると、京王杯2歳Sでは折り合いを欠き、もたれるなどして、グランプリボスの4 3/4馬身差10着と大敗を喫してしまう。後から考えれば距離が短かったということもあるが、気性が幼すぎたのも大きな原因だったのだろう。

    3歳(2011年)

    成長を待って3歳になった2011年、シンザン記念2着、きさらぎ賞3着と勝てないまでも鋭い末脚で1番の上りを使い、重賞で好走する。
    ところが3月11日に東日本大震災が発生。クラシックシーズンを前に当面の関東の重賞は、すべて関西で行われることになった。例年中山で行われるスプリングSも阪神で実施。そこでオルフェーヴルは中団から差して、3/4馬身差で初重賞制覇を飾る。
    しかしこの時点で重賞は4戦1勝と、末脚はいいものの脚を余して勝ちきれないイメージ。スプリングSも着差は少なく、皐月賞を前にあくまでも伏兵の1頭という扱いだった。

    地震の影響で中山競馬場が使えず、皐月賞は第2回東京競馬の2日目となる4月24日に行われた。
    個人的にはこれがオルフェーヴルに有利に働くのではと思った。人気は東スポ杯2歳Sと弥生賞を勝ったサダムパテックだったが、末脚はオルフェーヴルの方が上で、さらに直線の長い東京ではその持ち味が生きると考えたのだ。ただし開幕週の東京で、先行有利の馬場ということだけが気になった。

    10.8倍の4番人気となったオルフェーヴルは後方の内で折り合って進み、直線に入って外目に持ち出すと末脚を伸ばして馬群を突き抜け、残り200mで先頭。そこから後続を一気に突き放すと、サダムパテックに3馬身差をつけて堂々と1冠を勝ち取った。
    上りは多くの馬が34秒台後半以下のなか、1番となる34.2。しかも先行有利な馬場で、後方から3馬身という決定的な差を東京のレースでつけたことで、一気にダービーの本命馬に浮上した。

    ところがダービー当日の東京競馬場は大雨に見舞われて不良馬場。末脚で勝負するオルフェーヴルには不利と思われたが、重の新馬は快勝しており血統的にも道悪は逆に得意ではという見方もあって、3.0倍の1番人気に支持された。個人的にも皐月賞に続いてオルフェーヴルが中心と見ていた。

    この日もう一つ話題になったのは、デットーリ騎手の参戦だった。UAEのシェイク・モハメド殿下の持ち馬デボネアが出走するということで、なんと殿下の主戦契約騎手として2日間限定で短期免許を取得して来日したのだ。
    さらにシェイク・モハメド殿下本人も東京競馬場に来場。私も場内で本人を見かけたが、おそらく外務省や農水省の官僚と思われる人たちが周りを取り囲んで歩いており、急な来日ということでさぞかし大変だったのだろう。

    レースではオルフェーヴルは後方から進め、4コーナーでやや外目に出すが、外のナカヤマナイト、内のサダムパテックに挟まれて進路を失う。ナカヤマナイトには内に押し込められ続けるが、それをこじ開けるように前に出ると、残り200m手前で一気に先頭に立つ。
    そこに外からウインバリアシオンが伸びてきて、2頭で抜け出す形になるが、最後はオルフェーヴルが突き放して1 3/4馬身差で2冠のゴールに飛び込んだ。
    驚かされたのはその上りタイムで、不良にもかかわらず34.8。34.7のウインバリアシオンと2頭が驚異的な上りを使ったが、あとの15頭はすべて36秒以上かかり、2,3着の差は7馬身と、2頭の強さのみがクローズアップされた。

    当日は雨に濡れながらスタンド前で見ていたが、傘でターフビジョンもよく見えず、わずかにオルフェーヴルとウインバリアシオンが抜け出したのが見えただけ。長くダービーを生で見ているが、経験した中では最も雨が激しいダービーだった。

    オルフェーヴル
    オルフェーヴル ダービー出走時 2011年5月29日 東京競馬場

    強い勝ち方で2冠を制したこともあり、当然3冠の期待が高まったのだが、心配したのは不良で激走したダメージだった。2009年に同じく不良のダービーを勝ったロジユニヴァースは、疲れが抜けずに秋を全休。翌春にようやく復帰したが、結局その後未勝利で終わっている。
    しかしそれも杞憂に終わった。休み明けの神戸新聞杯を1番の上りで当面の相手ウインバリアシオンに2 1/2馬身差で快勝すると、1.4倍の圧倒的な1番人気で菊花賞に臨む。

    いつもより前の中団で進めると、2週目の3コーナーで進出開始。坂の下りでスムーズに4,5番手にあがって直線に向くと、すぐに先頭に立ち、あとは後続を離す一方。最後に後方からウインバリアシオンが追いこんでくるが、池添騎手は最後抑える余裕で2 1/2馬身差の完勝。力の違いを見せつける形で、見事に史上7頭目の3歳牡馬3冠馬となった。
    父も母父も内国産というのは史上初。どちらもなじみの馬という意味では、親しみやすい3冠馬と言えるだろう。

    そして3冠馬となった勢いのまま、初めての古馬との対戦の場として陣営は有馬記念を選択する。シンボリルドルフやディープインパクトでさえ、3冠奪取後の初の古馬との対戦では敗れているが、オルフェーヴルはそのジンクスも軽く超えていく。
    超スローペースを後方から進めると、3コーナー手前から外を通って上がっていく。直線は外から力強い末脚を見せると、内で粘るエイシンフラッシュを3/4馬身差押さえて1着。ブエナビスタ、トーセンジョーダン、ヴィクトワールピサなど歴戦の古馬を相手にG1 4勝目を飾った。
    圧倒的な成績を残したため、すんなりと2011年の年度代表馬に選出。震災で落ち込む人々に、明るい話題を提供してくれた。すでに国内に敵はいないという状況で、翌年の海外遠征に期待が膨らんだのだった。

    4歳(2012年)

    2012年オルフェーヴルの初戦は、天皇賞(春)をにらんで阪神大賞典となった。前年の4冠馬ということで、1.1倍の圧倒的な1番人気に支持される。
    しかし最初の1000mが1.04.9という超スローペースで流れたこともあり、池添騎手が懸命に抑えて馬群から離した外を行くが、オルフェーヴルは行きたがって折り合いを欠き、最初の直線では2番手まで上がる。さらに向こう正面では先頭に立って逃げる形になり、3コーナー手前では外ラチの方に逸走気味となって、池添騎手が抑えたことで故障したかと思わせるほど急激に減速。一気に後方2番手まで下がってしまう。
    ところがそこから立て直すと外から再び馬群にならんでいき、直線に入ると末脚を伸ばす。内から抜け出したギュスターヴクライはとらえられなかったが、1/2馬身差2着まで盛り返し、大きなロスを克服したことで、改めてその強さを認識させられた。

    だが天皇賞(春)では、阪神大賞典の結果から池添騎手は必要以上に折り合いに気を使うことになり、後方の馬群で待機。その間に逃げたゴールデンハインドと2番手のビートブラックはどんどん後続を離していく。他馬は後方のオルフェーヴルが気になって動くことができない。
    途中から先頭に立ったビートブラックがそのまま逃げ切って勝ち、オルフェーヴルは1.8秒も離された11着と久々の2桁着順に沈んでしまう。強い差し馬がいる場合、まれに人気薄の逃げ馬が逃げ切って大波乱が起こることがあるが、その典型的な例となってしまった。

    次の宝塚記念は、池江調教師が直前まで出否を決めかねていたり、追い切り後に7割の出来と発言するなど陣営の弱気もあり、オルフェーヴルは1番人気ながら3.2倍。個人的にも天皇賞(春)のまったく気合の感じられない負け方が気になり、正直半信半疑だった。
    しかしいつものように後方から進んだオルフェーヴルは、心配された折り合いも問題なく、直線では内から進出。ただ1頭34秒台となる上り34.7で2着ルーラーシップに2馬身差の圧勝を飾り、鮮やかな復活を遂げた。
    この勝利でG1は5勝目。秋に予定されている凱旋門賞遠征に弾みをつけた。

    フランス遠征では、それまで主戦を務めた池添騎手に代わって、現地になれているという理由からフランスのトップジョッキーの1人であるスミヨン騎手に乗り替わる。池添騎手にとってはかなりショックだっただろうが、本気に勝ちに行くという陣営の選択だったのだろう。
    5頭立てとなった前哨戦のフォア賞を快勝。凱旋門賞は有力馬が何頭か回避したこともあり、当年の英・愛ダービーを制したキャメロットに次ぐ2番人気に支持される。
    凱旋門賞は例年馬場が悪くなることが多く、この年も重馬場だったが、オルフェーヴルの不良のダービーでの強さを思えば、逆に有利なのではと期待をもって中継を見守った。

    大外から出たオルフェーヴルは馬群の外、後方につける。そのまま直線に向くと、外から末脚を発揮して一気に上がってくる。思わず鳥肌が立つような興奮を味わう。一気に馬群をかわすと残り300mで先頭。どんどん後続を突き放していく。
    ついに日本馬が凱旋門賞を勝つ日が来たかと思ったが、1頭だけじりじりと差を詰めてくる馬がいた。必死に声援をテレビに向かって送るが、残り100mを切ってあきらかにオルフェーヴルの脚色が鈍くなる。それでも懸命にがんばるが、ゴール直前で交わされてクビ差2着。勝ったと思っただけに、落胆は大きかった。
    ゴール後に、勝った馬は日本でもおなじみのペリエ騎手騎乗の4歳牝馬ソレミアだと知ったが、さすがペリエ騎手と相手を褒めるしかなかった。
    スミヨン騎手によると、ゴール前で急激に内によれたとのことで、早めに抜け出してソラを使ったらしい。結果論的には抜け出しが早かったとも思われ、慣れている池添騎手だったらという論調もネット上で見られたが、致し方ないだろう。

    帰国したオルフェーヴルは、ジャパンCに出走する。遠征からの帰国初戦は疲れが残る危険もあるが、ディープインパクトは同じローテーションで快勝しており、強い馬なら大丈夫だろうと、2.0倍の1番人気となった。
    1000mが1.00.2とやや遅めの流れの中、オルフェーヴルは中団後方につける。3コーナーから進出すると4コーナーでは先団に。直線に向くと残り300mでその年の3冠牝馬ジェンティルドンナに外から馬体を合わせにいく。前には逃げるビートブラックがいたので、内ラチ沿いで伸びるジェンティルドンナを、オルフェーヴルの池添騎手はビートブラックの後ろに押し込めようとする。しかしジェンティルドンナの岩田騎手は、そうはさせじとジェンティルドンナを外のオルフェーヴルにぶつけて、無理やり進路をこじあける。
    一瞬ひるんだオルフェーヴルの前にジェンティルドンナが出るが、立て直したオルフェーヴルも再び体を合わせて、壮絶な追い比べに。しかし最後までオルフェーヴルはジェンティルドンナを交わせずハナ差2着。
    岩田騎手は進路の取り方が強引だと2日間の騎乗停止処分となったが、着順は変わらず。オルフェーヴルは、3歳牝馬ながらジャパンCを勝つという快挙を達成したジェンティルドンナの引き立て役となってしまった。

    オルフェーヴル
    オルフェーヴル ジャパンC出走時 2012年11月25日 東京競馬場

    激戦続きで回復の時間が必要ということで有馬記念は回避した。

    5歳(2013年)

    5歳になった2013年は、産経大阪杯から始動する。58kgを背負いながら1.2倍の1番人気に応えて快勝すると、リベンジを目指して、再びフランス遠征を敢行する。スミヨン騎手とのコンビも復活し、フォア賞を連覇。前年惜敗の実績もあり、凱旋門賞では1番人気となる。
    今年こそという期待を込めて見守ったが、フォルスストレートで馬群に包まれたオルフェーヴルをしり目に、先に抜け出したフランスの3歳牝馬トレヴが直線に入ってどんどん差を広げていく。オルフェーヴルもキズナとともに懸命に前を追うが、その差は開く一方。結果は同じ2着だったが、5馬身差をつけられ、完敗に終わった。
    前年の結果から期待はより大きかった分、失望感も大きかった。

    帰国後は、ラストレースを有馬記念と決めて調整を進める。
    前年のジャパンCは2着惜敗で、日程的により余裕があった分、仕上げにも問題なさそうということで1.6倍の圧倒的な1番人気となった。
    レースはいつものように馬群の後ろにつけ、当面の相手と見られた2番人気ゴールドシップをマークするように進む。3コーナーから外を通って上がっていくと、4コーナーで先頭に立つ。あとは離す一方で、ダービーや菊花賞で好勝負を演じた2着ウインバリアシオンに8馬身差をつける圧勝。
    有馬記念では2003年シンボリクリスエスの9馬身に続く圧倒的な差で、ラストランを飾った。これでG1は6勝。7勝の記録には並べなかったが、数々の記憶に残るレースを見せ、最後に強烈な印象を残してターフを去っていった。

    種牡馬として

    2013年から社台スタリオンステーションで種牡馬入りしたが、2017年に初年度産駒からロックディスタウンが札幌2歳Sを勝つと、ラッキーライラックが阪神JFを制してG1勝利を飾る。さらに2018年にはエポカドーロが皐月賞を勝ってクラシック初制覇と、早くも一流種牡馬の仲間入り。
    しかしその後はコンスタントに重賞勝ち馬は出すものの、国内G1勝ちはエポカドーロ(皐月賞[2018])とラッキーライラック(阪神JF[2017]、エリザベス女王杯[2019,2020]、大阪杯[2020])の2頭だけと、やや伸び悩んでいる印象。

    ただ産駒はさまざまな条件で強さを発揮しており、2021年にはマルシュロレーヌがBCディスタフで日本調教馬として初めてアメリカダートG1を制覇。また2022年にはG3ではあるもののオーソリティがサウジアラビアのネオムターフCを逃げ切って圧勝と、海外での活躍も目立つ。
    基本的には2000m以上の芝を得意とするが、マイル以下やダートで重賞を勝つ産駒もいて、バリエーションに富んでおり、精神的にも強い印象がある。ぜひオルフェーヴルを超えて、海外でも活躍するような産駒の登場を期待したい。