性別 | 牡 | 毛色 | 黒鹿毛 |
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生年月日 | 1999年1月21日 | 所属 | 美浦・藤沢和雄厩舎 |
父 | クリスエス | 母 | ティーケイ (母父:ゴールドメリディアン) |
戦績 | 15戦8勝 (8・2・4・1) |
生産者 | アメリカ Takahiro Wada |
馬主 | シンボリ牧場 | 騎手 | 岡部幸雄、横山典弘、武豊、O.ペリエ、 K.デザーモ |
おもな 勝ち鞍 |
天皇賞(秋)(2002,2003),有馬記念(2002,2003),青葉賞(2002), 神戸新聞杯(2002) |
- 藤沢和雄調教師と言えば、馬に合わせて決して無理はさせないためか、なかなかクラシックに縁がなかった印象がある。バブルガムフェローのようにトライアルを勝ちながら骨折してしまうという不運もあり、どうしても古馬の活躍が目立っていた。
2歳~3歳(2001年~2002年)
そんな中、久々にクラシックを意識させる存在となったのが、シンボリクリスエスだった。シンボリ牧場の馬でありながら、アメリカの繁殖セールで購入した母から現地で生まれ、外国産馬として輸入されたシンボリクリスエスは、2001年10月に美浦の藤沢和厩舎からデビューする。2歳新馬を勝ち、2002年に3歳になってから3戦は勝てなかったものの、4月に500万下を勝つと、その勢いで青葉賞も2 1/2馬身突き放す強さで連勝し、ダービーの優先出走権を獲得する。
藤沢和厩舎初のダービー馬を目指すシンボリクリスエスは、主戦の岡部騎手を背に3番人気に支持される。しかし当時から青葉賞の勝ち馬はダービーを勝てないというジンクスはあった。そのため、個人的には同厩舎のマチカネアカツキ(東スポ杯、ラジオたんぱ杯2着でデザーモ騎手騎乗。6番人気)の方を、人気が低いこともあり応援していた。
レースでシンボリクリスエスは中団を追走。直線は馬場中央から前を追う。応援していたマチカネアカツキが内ラチ沿いから一瞬先頭に立ち夢を見たが、外から伸びてきたタニノギムレットがすぐに交わして先頭。そこにシンボリクリスエスが差してきて2番手に上がったところでゴール。残念ながら藤沢和厩舎は2,3着と惜しいところでダービーを逃してしまった。
その後、秋は神戸新聞杯を快勝したものの菊花賞には向かわず、東京競馬場が改修工事のため中山で行われた天皇賞(秋)に出走する。そして好位から抜け出し3歳馬ながら優勝。1987年に3歳馬の出走が可能になってからは、厩舎の先輩バブルガムフェロー(1996年)に続く快挙だった。
さらに中山で行われたジャパンC3着を挟んで、有馬記念も好位から制してG1 2勝目を飾り、2002年の年度代表馬に選ばれる。
この年の中山で行われたジャパンCを見に行ったのだが、シンボリクリスエスは1番人気ながら、 L.デットーリ騎手騎乗のファルブラヴ(伊 牡4)からハナ、クビ差の3着に敗退。デットーリ騎手は前日のJCダート(イーグルカフェ)に続く2日連続のG1制覇となり、その騎乗に魅了された。
このレースは、最後の直線でファルブラヴとC.ナカタニ騎手騎乗のサラファン(米 せ5)にO.ペリエ騎手のシンボリクリスエスを加えた3頭がすさまじい叩き合いを演じて、ゴール後にはナカタニ騎手がファルブラヴの進路妨害があったと異議申し立てをするという、日本ではまず見られないことがあって、外国人騎手(ナカタニ騎手は日系人だが)の勝利への執念のすごさを見せつけられて、とても印象に残っている。
4歳(2003年)
2003年、この年初戦となった宝塚記念は1番人気ながらヒシミラクルの5着に敗退し、ミラクルおじさん(勝ったヒシミラクルの単勝を1200万円ほど買ったと言われ、当日は13.6倍の6番人気だったが、前日発売で土曜日の午前中一時1番人気になり、異常投票があったと話題になった)の高配当ゲットに貢献してしまう。しかし秋になり天皇賞(秋)は1番人気に応えて中団から抜け出し1 1/2馬身差で1着。ジャパンCは重馬場でタップダンスシチーに大逃げを許して前年に続いて3着に敗れたが、有馬記念を連覇し、2年連続の年度代表馬に選ばれた。
特に有馬記念は直線に入って後続を離す一方の独走状態となり、なんと2着のリンカーンに9馬身差と、良馬場のG1では見たことがないような着差で圧勝を飾って、自らの引退に花を添えた。
単勝馬券のコピー 2003年12月28日
有馬記念優勝を記念してつくられたパスネット
種牡馬として
翌2004年から社台スタリオンステーションで種牡馬となったが、その活躍もすばらしく、G1馬はサクセスブロッケン(2009年 フェブラリーS)、アルフレード(2011年 朝日杯FS)、ストロングリターン(2012年 安田記念)、エピファネイア(2013年 菊花賞、2014年 JC)、ルヴァンスレーヴ(2018年 チャンピオンズS)と5頭(6勝)を輩出。特にエピファネイアは父が勝てなかったジャパンCを驚くべき強さで制して、父の名をさらに上げた。ダート、芝問わず、マイルから3000mまで幅広い距離で活躍馬を出しており、そのオールラウンドぶりは、種牡馬としても一流だったことを証明している。
さらに2020年にはエピファネイア産駒のデアリングタクトが無敗で牝馬3冠を達成し、2021年には同じくエピファネイア産駒のエフフォーリアが皐月賞、さらに祖父と同じく3歳で天皇賞(秋)を勝つなど親仔3代G1制覇を達成。卓越した能力を継ぐ馬たちが次々と現れ、その血は今後も広がっていくことが期待される。
2019年8月に馬産地巡りをした際に、ブリーダーズスタリオンステーションでシンボリクリスエスに会っている。2015年の種付けシーズン終了後に社台スタリオンステーションから移動したという。
シンボリクリスエスの馬房は、他の馬たちとはちょっと離れていて、ジャングルポケットと2頭だけ別の厩舎にいた。2頭ともなかなか顔を出してくれず、しばらく待っていたが動かないので、仕方なく別の馬を見に行った。
少しして戻ってくると、ちょうどスタッフの方がニンジンを持って来ていて、それを使って2頭とも外に顔を出させようとしてくれた。ジャングルポケットはどんなにがんばっても、柵の外に顔を出してくれないそうだが、シンボリクリスエスは顔を出してくれて、しばらくおとなしくたたずんでいた。
ちょうど20歳とのことで、年のせいかちょっと元気がないかなという印象を受けた。隣のジャングルポケットの方が1歳年上だったが、シンボリクリスエスの方がちょっと老けた印象で、気になったのを覚えている。
するとその2か月後に、シンボリクリスエスが種牡馬を引退するというニュースを目にした。10/20に繋養されていたブリーダーズスタリオンステーションを退厩して、余生を送る成田のシンボリ牧場に移動したという。
その年はディープインパクト、キングカメハメハが相次いで亡くなり、シンボリクリスエスも引退と、時代の変化を印象付ける出来事が多いと思っていた。
そして翌2020年12月8日に死亡。9月に蹄葉炎を発症し、懸命の治療を施したが立ち上がることができなくなり、やむなく安楽死となった。享年21歳。
最後に、ブリーダーズスタリオンステーションで撮影したシンボリクリスエスの雄姿を紹介して、その活躍をたたえるとともに冥福を祈りたい。
シンボリクリスエス 2019年8月25日 ブリーダーズスタリオンステーション
シンボリクリスエス 2019年8月25日 ブリーダーズスタリオンステーション