キングカメハメハ

性別 毛色 鹿毛
生年月日 2001年3月20日 所属 栗東・松田国英厩舎
キングマンボ マンファス (母父:ラストタイクーン)
戦績 8戦7勝
(7・0・1・0)
生産者 北海道早来 ノーザンファーム
馬主 金子真人 騎手 安藤勝己、武豊、D.バルジュー、福永祐一
おもな
勝ち鞍
NHKマイルC(2004),日本ダービー(2004),神戸新聞杯(2004),
毎日杯(2004)

 キングカメハメハ 新たなる王道【低価格版】 [DVD]

    競走馬の記憶は、もちろん現役時代のレースがもっとも印象深いものだが、まれに繁殖に入ってからの話題の方が大きい馬もいる。キングカメハメハはダービーを勝つなど競走成績もとても優秀だったが、現役時代が1年に満たないこともあり、種牡馬としてのインパクトの方が、個人的には大きいと思う。

    キングカメハメハの現役時代のトピックスといえば、2003年に地方の笠松から移籍した名手安藤勝騎手に、ダービージョッキーの称号を贈ったことと、松田国師の念願だったNHKマイルCと日本ダービーの変則2冠を初めて達成したことだろう。

    2歳(2003年)

    その2003年の11月にデビューしたキングカメハメハは、安藤勝騎手を鞍上に新馬戦を勝つと、500万下のエリカ賞を武豊騎手騎乗で連勝する。

    3歳(2004年)

    クラシックを目指して年明けの京成杯に出走すると、バルジュー騎手騎乗で1番人気に支持されるが、直線伸びきれず0.8秒差3着に敗れてしまう。
    このレースを見た松田国師は、キングカメハメハの中山への適性に疑問を抱いて早々に皐月賞挑戦をとりやめ、代わりに毎日杯からNHKマイルC、そして日本ダービーというクロフネでかなえられなかったローテーションをとったと記憶している。

    すみれS、毎日杯と先行して連勝したキングカメハメハは、初のマイルとなるNHKマイルCに出走。距離短縮や実績の無い関東遠征が懸念されるも、3.6倍の1番人気に支持される。
    この時、初めてキングカメハメハを見たのだが、3歳馬で初の東京遠征にも関わらず落ち着いており、馬体の張りやトモの踏み込みも文句なく、この馬で間違いないと魅了されたことを覚えている。

    レースでは、中団外を折り合って追走すると、直線は外に持ち出し、各馬が必死に押す中、追い出しを待つ余裕。残り400mを過ぎて安藤勝騎手が追いだすと一気に伸びて、残り200mで先頭に立つと、後続を離す一方で2着コスモサンビームに5馬身差の1着。ムチも使わず、1.32.5の好タイムでの圧勝だった。

    続くダービーは、地方の北海道競馬から参戦した弥生賞1着、皐月賞2着のコスモバルクとの一騎打ちという様相だった。コスモバルクはマイネルのビッグレッドファームの持ち馬で、芝の重賞を2勝しながらも地方所属のままでダービーに挑戦するというドラマ性もあって、人気を博していた。

    レースでは、キングカメハメハは中団外を追走するも、マイルを使った影響かやや行きたがるそぶりを見せる。それを安藤勝騎手が抑えて進むと、早めに先頭に迫るコスモバルクを追って3コーナー過ぎから進出。4コーナーは3,4番手で大きく外を回ると残り400mで早くも先頭に立つ。内外に大きくよれながらも、安藤勝騎手の懸命の叱咤に応えて残り200mで追いすがるハイヤーゲームを突き放し、最後は大外を追い込んできたハーツクライに1 1/2馬身差をつけて1着。
    好天の良馬場でペースが速かったこともあり、タイムは2.23.3と従来の記録を2秒も更新するダービーレコード。それを早め先頭から押し切ったのだから、着差以上の強さだった。ハーツクライはのちに有馬記念を勝つ実力馬だが、ハイペースを追い込むという展開に恵まれながらも2着に下したことは、大いに価値があると思う。

    しかし秋に神戸新聞杯を制した後に屈腱炎を発症してそのまま引退。生涯成績は8戦7勝と底を見せなかったが、古馬になってからの真の強さを見る機会がなかったのはとても残念だった。
    そして、NHKマイルCから日本ダービーというきついローテーションが、現役生活を縮めたのではと、ちょっと批判的な感想を抱いたことを覚えている。

    今でこそクラシックを狙うためには、できるだけレース数を絞って、かつ間隔をあけることがトレンドだが、当時はまだきついローテーションで臨む馬もいた。2001年のクロフネもそうだし、2002年のタニノギムレットは皐月賞3着、NHKマイルC3着からダービーを勝った。
    必ずしも厳しいローテーションが競走馬生命を縮めるわけではないが、故障の確率が上がることは確かで、その経験の積み重ねが今のトレンドにつながっているようにも思える。

    種牡馬、その後

    このように早々に種牡馬生活をスタートさせたキングカメハメハだが、産駒の活躍によって現役時代よりも大きなインパクトを与えることになった。
    もともとサンデーサイレンスやブライアンズタイムなどの、今や主流となったいわゆるヘイルトゥリーズン系の血がまったく入っていないという血統背景から、多くの牝馬との交配が可能ということで期待が大きかったと思う。しかしその実績は、期待をさらに大きく上回るものだった。

    ドゥラメンテ(2015年)、レイデオロ(2017年)と2頭のダービー馬を送り出したほか、現役時代は最強の短距離馬にして芝G1 9勝の牝馬アーモンドアイの父であるロードカナロアを生みだすなど、G1馬12頭を輩出している。数ではディープインパクトに見劣りするのは事実だが、孫世代の活躍なども考えると、日本競馬界に与えた影響は劣らないとも言えるだろう。

    そんなキングカメハメハも2019年に19歳で死亡した。種牡馬引退という報道は聞いていたが、8/9の夕方に体調が悪化し、23時ごろに亡くなった。その前の数年は体調がすぐれなかったようで、白内障で目も見えなかったとのこと。それほどの高齢ではないのだが、種付けなどの負担が重かったのだろうか。

    最後に、以前社台スタリオンステーションで撮ったキングカメハメハの在りし日の写真を載せて、故馬をたたえたい。

    キングカメハメハ

    キングカメハメハ

    キングカメハメハ
    キングカメハメハ 2007年9月16日 社台スタリオンステーション