ウオッカ

性別 毛色 鹿毛
生年月日 2004年4月4日 所属 栗東・角居勝彦厩舎
タニノギムレット タニノシスター (母父:ルション)
戦績 26戦10勝
(10・5・3・8)
生産者 北海道静内 カントリー牧場
馬主 谷水雄三 騎手 鮫島克也、四位洋文、武豊、
岩田康誠、C.ルメール
おもな
勝ち鞍
阪神JF(2006)、日本ダービー(2007)、安田記念(2008,2009)、
天皇賞(秋)(2008)、ヴィクトリアM(2009)、ジャパンC(2009)、
チューリップ賞(2007)

    ダービー馬は3歳馬の頂点であり、よほどの短距離血統やダート血統でない限り、すべての牡馬の関係者がダービーを勝つことを少なからず意識しているだろう。しかし牝馬についてはダービーを意識する関係者は少ないだろうし、それがある意味常識だと思う。
    ウオッカも当初はそれほど注目される存在ではなかったという。

    「タニノ」の冠名で知られる谷水雄三氏がオーナーブリーダーとして、自らの持ち馬であるタニノシスターに、同じく持ち馬の2002年のダービー馬タニノギムレットをつけて誕生したウオッカ。
    ギムレットのベースとなるジンよりもアルコール度数が強いウオッカを名前として採用し、かつストレートの方が強いとして、冠名をつけない「ウオッカ」と名付けたのは有名な話だが、そのウオッカが生まれたのは、父タニノギムレットがダービーを制してから2年後の2004年。
    タニノギムレットは3歳の秋に屈腱炎で引退していたので、初年度産駒の1頭だった。

    2歳(2006年)

    ウオッカのデビュー戦は10/29の京都芝1600m新馬。主戦の四位騎手が東京で騎乗するため、佐賀のベテラン鮫島克也騎手鞍上で2番人気となるが、逃げて3 1/2馬身差で圧勝した。
    続く500万下の黄菊賞(京都芝1800m)から四位騎手が騎乗して、中団から早めに仕掛けるが、逃げ馬を捉えられず1 1/2馬身差2着に敗れてしまう。

    1勝馬ではあったが、次走はG1阪神JFに挑戦してきた。
    この年は小倉2歳S、ファンタジーSと重賞を連勝してきた武豊騎手鞍上のアストンマーチャンが、唯一の3勝馬ということもあり1.6倍の圧倒的1番人気。個人的にもこの馬で仕方ないと思っていた。
    対するウオッカは、距離実績はあるものの前走敗れており、11.1倍の4番人気と相手の1頭という認識だった。

    好スタートを切ったウオッカは先行集団を見る内を追走すると、直線は外に進路を取る。先に抜け出したアストンマーチャンめがけて徐々に差を詰めると、ゴール直前でクビ差交わして1着となった。
    3着馬は3 1/2馬身離れており、末脚の良さと距離適性を感じさせる大人びたレースぶりで、世代No.1の力があることを見せつけた。
    この勝利により、JRA賞の最優秀2歳牝馬に選ばれた。

    3歳(2007年)

    3歳初戦のOPエルフィンS(京都芝1600m)を好位から3馬身差で圧勝すると、次走は桜花賞トライアルのチューリップ賞に出走。1.4倍の圧倒的な1番人気に支持されると、好位から1番の上りを繰り出し、逃げたダイワスカーレットをクビ差で下して3連勝を飾る。
    ダイワスカーレットの鞍上の安藤勝騎手が、ウオッカの末脚を測るような乗り方をしていたのが少し気になったが、ウオッカが余裕で交わして力差を感じさせる内容で、桜花賞は決まったと思わせる勝ち方だった。

    実際にウオッカは桜花賞で1.4倍の1番人気に支持され、2,3番人気のアストンマーチャン、ダイワスカーレットは5倍台と、ウオッカの圧勝を期待するファンが多かった。
    個人的にもウオッカの勝ちは固いだろうと考えており、パドックでも堂々と落ち着いていながら適度な気合乗りで踏み込みも力強く、調子の良さを感じさせた。ただしパドックではダイワスカーレットの方が落ち着いて迫力ある馬体で歩様も伸びやかで毛ヅヤ良く、一番よく見えたこともあって、この2頭が本線だった。

    レースではウオッカは中団外を折り合って追走。直線に入って満を持して追い出すと、先行してすぐ前の内にいるダイワスカーレットを抜きにかかる。チューリップ賞のようにすぐにダイワスカーレットを交わすかと思いきや、ダイワスカーレットも粘る。
    残り200mで逆にダイワスカーレットがウオッカを突き放して先頭。ウオッカも懸命に追うがその差は詰まらず、ダイワスカーレットがウオッカに1 1/2馬身差をつけて1着でゴールに飛び込んだ。

    ウオッカが楽勝するだろうと思っていたのに、逆に突き放されて2着という結果には心底驚かされたし、ダイワスカーレットの変わり身と強さ、安藤勝騎手のレース運びのうまさは、ちょっとした衝撃だった。

    次走はオークスに行くと思っていたのだが、陣営の選択は日本ダービー出走だった。これは角居師の発案だというが、谷水オーナーも桜花賞を勝てばダービー出走を宣言していたという。
    しかしオークス確勝が期待されていたダイワスカーレットが結果的に感冒によって回避したこともあり、逆にオークスに出ていればウオッカが確勝だったのにと思った。

    牝馬のダービー制覇は史上2例しかなく、もし勝てば1943年のクリフジ以来64年ぶりということが話題になったが、逆にそれだけ長い間実現していなかったわけで、とても高い壁であることは間違いなかった。
    エアグルーヴの天皇賞(秋)勝利から10年たち、シーキングザパールやビリーヴなど短距離では牡馬相手にG1を勝つ牝馬もいたが、中長距離ではなかなか歯が立たないのが実情だった。
    そんな中でウオッカは10.5倍の3番人気に支持される。1.6倍の圧倒的1番人気となったのは、デビュー4連勝で東スポ杯や共同通信杯を勝ち、皐月賞も1番の上りで追い込んでハナ差3着だったフサイチホウオー。個人的にもこの馬で仕方ないだろうと思っており、ウオッカはあくまで押さえの1頭だった。
    パドックで見たウオッカも全体の雰囲気はよかったが、牡馬に比べると迫力面で劣るように見えた。

ウオッカウオッカウオッカ 2007年5月27日 日本ダービー出走時 東京競馬場

3番ゲートから好スタートを切ったウオッカは、やや外目に出して中団後方を進む。そのまま4コーナーを回って直線は馬場の中央に出すとぐんぐん伸びる。残り200mで3番手に上がると、前を行くサンツェッペリン、アサクサキングスを並ぶ間もなく交わして先頭。最後はアサクサキングスに3馬身差をつけて先頭でゴールを駆け抜けた。
先行した馬が2,4着に残る中、後方から1番の上り33.0で大きく突き抜けるという派手な勝ち方。64年ぶりの牝馬によるダービー制覇ということもあり、その走りは大きな衝撃をファンにも関係者にも与えた。
この日は指定席で見ていたのだが、その末脚には大いに驚かされたし、その力を見抜けなかったということで反省もさせられた

秋は凱旋門賞に登録していたのだが、そのために古馬との対戦を経験するという意味もあり、ダービー馬としては異例の宝塚記念への出走というローテーションをとる。斤量面で有利(4歳上牡馬の58kgに対して51kg)ということとダービーの勝ちっぷりから3.5倍の1番人気に支持される。
中団から直線はいったん先頭に立つ勢いも、道中掛かり気味だったことが影響したのか、最後は失速して1.6秒差8着に終わった。

その後、怪我もあって凱旋門賞は断念し、夏は休養に充てて秋華賞に直行で出走する。
ローズSを逃げ切って勝ったダイワスカーレット、オークス,ローズSともに2着のベッラレイアと3頭だけが1桁オッズと3強だったが、ダービー馬の肩書はやはり重く、1頭だけ休み明けにもかかわらず、ウオッカが2.7倍の1番人気となった。
後方から進めたウオッカは、早めに抜け出したダイワスカーレットを追って懸命に脚を伸ばすが、好位から進めたレインダンスも捕まえられず3着に終わった。
個人的にはウオッカとダイワスカーレットは甲乙つけがたいと思い、2頭から流す形になったが、レインダンスを押さえていて、意外な好配当で喜んだことを覚えている。

続いてエリザベス女王杯に登録。前日発売では1番人気となったが、当日の朝に跛行で取り消しとなった。

ところが2週間後のジャパンCに出走してきた。6.1倍の2番人気となるが、最後方から1番の上りで追い込むものの、1 1/4馬身差4着。しかし順調さを欠いたローテーションながら僅差の勝負に持ち込み、力があるところは見せた。

ウオッカウオッカ 2007年11月25日 ジャパンC出走時 東京競馬場

続く有馬記念も6.9倍の3番人気と高い支持を受けるが、中位から伸びず11着。2着に好走したダイワスカーレットとは明暗が分かれ、自身初の2桁着順と大敗を喫してしまう。阪神コースのG1での成績が今一つということもあり、直線が短く形態が似ている初の中山での走りが心配されたが、その不安が的中する形となった。
それもあってか、以後ウオッカが阪神、中山のレースに出走することはなかった。

ウオッカウオッカ 2007年12月23日 有馬記念出走時 中山競馬場

JRA賞の最優秀3歳牝馬は、桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯とG1 3勝のダイワスカーレットが選ばれ、ウオッカは次点とはいえ票数は大きく離された。しかし牝馬による日本ダービー勝利が評価され、特別賞を受賞した。

4歳(2008年)

4歳初戦は京都記念に出走。3.4倍の2番人気に支持されるが、追い込み届かず0.3秒差6着に敗れる。
このレースを最後に、ここまで主戦を務めた四位騎手はウオッカに乗ることはなかったし、ウオッカが右回りのレースに出走することもなかった。

そして次走は初の海外遠征を行うことになり、G1 ドバイデューティフリー(現ドバイターフ ナド・アルシバ 芝1777m)に出走する。このレースから主戦は武豊騎手となった。
好位から進めたウオッカは、直線で先頭に並びかけるシーンもあったが、最後は4着に敗れた。

帰国初戦はヴィクトリアMとなった。
桜花賞以来のマイル戦だったが、もともとマイルでは結果を残してきており、実績も抜けていることから2.1倍の1番人気に支持される。中団から1番の上りで差してきたものの、先に抜け出したエイジアンウインズを捉えられず、3/4馬身差2着に終わった。

ウオッカウオッカ 2008年5月18日 ヴィクトリアM出走時 東京競馬場

しかし遠征から1.5か月後のレースを好走したことで、今後に期待が持てる敗戦だった。またダービー以来久々の連対ということで、やはり末脚が生かせる東京コースが合っているという認識が関係者の間であったのかもしれない。この後、国内で出走するレースはすべて東京競馬場限定ということになる。

続いて安田記念に出走。
武豊騎手に先約があったため岩田騎手がピンチヒッターを務めたが、4.1倍の2番人気と高い支持を得る。しかし前走の伸びきれない負け方に不安を覚え、個人的には連下までという評価だった。

岩田騎手はウオッカを久々に内ラチ沿いで先行させると、直線はあいた内から脚を伸ばし、残り300mで逃げたコンゴウリキシオーを交わして早くも先頭。あとは後続を離す一方で、2着の香港のアルマダに3 1/2馬身差をつける久々の圧勝となった。
その末脚はダービーを彷彿とさせるもので、あの強いウオッカが戻って来たという印象を強く与える勝利だった。

秋の復帰戦は武豊騎手に戻って毎日王冠だったが、逃げてアタマ差2着と敗れてしまう。
そして次走は天皇賞(秋)となった。
ウオッカは2.7倍の1番人気となり、2番人気は産経大阪杯以来の休み明けのダイワスカーレット(3.6倍)、3番人気はその年のダービー馬で神戸新聞杯を勝ってG1 2勝を含む重賞4連勝中のディープスカイ(4.1倍)。3頭だけが単勝1桁で3強の争いという構図だった。

ウオッカはここまでダイワスカーレットに1勝3敗と大きく負け越しており、陣営にとってはリベンジが大命題だった。そして相手が休み明けのここは、その絶好のチャンスでもあった。
個人的にもここはウオッカで仕方ないだろうと思い、休み明けの上に逃げ馬に不利でかつ初めての東京でのレースとなるダイワスカーレットには、かなり厳しい条件がそろっているため、上位は難しいのではと考えていた。

ダイワスカーレットは安藤勝騎手がなだめながら逃げるが、久々もあって1000mは58.7と早めのペース。それをウオッカはやや掛かりながらも、武豊騎手が抑えて中団で折り合って追走する。
直線に入ると内ラチ沿いで逃げるダイワスカーレットに、離れた外からディープスカイとウオッカがぐんぐんと差を詰めていく。残り200mぐらいでは、あきらかに外のディープスカイとウオッカの脚色がよく、ダイワスカーレットももはやこれまでかと思われた。

しかし残り100mからダイワスカーレットがもう一度盛り返す。まん中のディープスカイが脱落し、ウオッカと内外離れた2頭が並んでゴール。再生されたスローでも、差がわからず、ずいぶん長い写真判定のあと、ウオッカの1着がアナウンスされた。その差はわずか2cmとのこと。

勝ちタイムは1.57.2と当時のレコードで、それまでのスペシャルウィークのレースレコードを0.8秒も塗り替える驚異的な記録だった。
また牝馬による天皇賞(秋)制覇は、芝2000mになった1984年以降では、エアグルーヴ(1997年)、ヘヴンリーロマンス(2005年)に続く3頭目の快挙となった。

ウオッカウオッカウオッカ 2008年11月2日 天皇賞(秋)出走時 東京競馬場ウオッカ天皇賞(秋)のゴールシーンリプレイを映すターフビジョン

次走はジャパンCに出走する。武豊騎手がメイショウサムソンに騎乗するため、鞍上は安田記念に続いて岩田騎手となった。
1年ぶりの芝2400mということもあったのか、ディープスカイ(3.4倍)に続く3.7倍の2番人気となる。個人的にも距離への疑問(マイルから2000mが合う?)とレコードの反動への心配から、危ないのではないかと連下とした。パドックでもやや硬い印象で、天皇賞(秋)よりは落ちる印象だった。

ウオッカウオッカ 2008年11月30日 ジャパンC出走時 東京競馬場

レースでは好スタートから3番手を進み、直線では先頭に並びかけるシーンもあったが、最後は伸びきれず1 1/4馬身差3着に終わった。
秋3戦目で前走はレコードで走っており、おそらく疲れもあったと思うが、その中でも僅差の勝負に持ち込み、力があるところは見せた。

有馬記念のファン投票では1位になったが、前年大敗したこともあったのだろう。回避して春に備えることになった。
この年、国内ではG1を2勝し、かつ5月以降は5戦して3着を外さない安定感もあって、最優秀4歳以上牝馬および年度代表馬の称号を得た。牝馬の年度代表馬は、JRA賞になった1987年以降、エアグルーヴ(1997年)以来史上2頭目の快挙。それ以前をあわせても1971年のトウメイを含め3頭目だった。

5歳(2009年)

春は前年に続いてUAEに遠征して長期滞在するが、ジュベルハッタ(G2) 5着、ドバイデューティフリー(G1) 7着と結果を出すことはできなかった。

帰国初戦は前年勝てなかったヴィクトリアMに出走。1.7倍の圧倒的な支持に応えて、好位追走から直線は突き放す一方で、7馬身差の圧勝でG1 5勝目を飾る。これは当時メジロドーベルとならんで牝馬では1位の記録だった。

次走は前年からの連覇を目指し安田記念に参戦。前走の強い勝ち方から、牡馬相手でも1.8倍の1番人気となった。
先行脚質が板についてきたウオッカだが、この日は前半行き脚がつかず中団の内。直線に入ると馬場のよい外目に出したが、みんなが同じようなところを狙ったため、馬群が壁になってなかなか抜け出せない。その間に内からスムーズに抜けた2番人気ディープスカイが差を広げていく。ようやく前があいたのは、残り200mを切ってから。
しかしそこからぐいぐいと末脚を伸ばすと、ゴール前でディープスカイを差し切り、3/4馬身差で1着。見事に牝馬では単独トップとなるG1 6勝目をあげた。

秋も東京にこだわる陣営は、ウオッカを毎日王冠から天皇賞(秋)、ジャパンCと王道を歩ませる。
毎日王冠では珍しく逃げの手に出て、武豊騎手が絶妙なペースを刻んでいったんは直線で大きく突き放すが、ゴール直前で失速してカンパニーの1馬身差2着と敗れてしまう。

続く天皇賞(秋)は2.1倍の1番人気に支持され、好スタートを切るものの向こう正面でポジションを下げて、前走とは対照的に後方を追走する。
直線は内を突いてするすると上がってきたものの、前が壁になる場面もあり、先に抜け出したカンパニー、スクリーンヒーローを捉えられず、2馬身差3着に終わった。
カンパニーには連敗を喫することになったが、上りはカンパニーと同じ32.9と切れる脚を見せており、負けて強しという内容だった。

ジャパンCでは新たにルメール騎手とコンビを組むこととなった。連敗を喫していたこともあったのか、単勝オッズは3.6倍と上がったが、1番人気はキープした。
調教は良く、パドックでもゆったりとした歩様で落ち着いておりトモも力強く、個人的には天皇賞(秋)よりも良く見えた。しかしマイル仕様になっている印象もあり、有力3頭の1頭という評価になった。

やや掛かるそぶりを見せるウオッカを、ルメール騎手はうまく抑えて好位を追走する。4コーナーで外目に出すと、直線はうまく前が空いて残り200mでは1馬身半ほど抜け出して先頭。そこから突き放すかと思われたが、やはり距離が長いのかゴール手前で失速。
後方から追いこんできたオウケンブルースリの猛追を受けたが、ハナ差で抑えて優勝を飾った。

これで牝馬のG1最多勝記録を7勝と伸ばしただけでなく、シンボリルドルフ、テイエムオペラオーディープインパクトが記録しているJRA所属馬の芝G1の最多勝記録にも並び、歴史的な名馬の仲間入りとなった。

しかしレース中に鼻出血を発症していたことが判明し、1か月の出走停止となったため、有馬記念には出走できなくなった。そのためジャパンCを最後に引退すると思われていたが、陣営からは翌年のドバイワールドカップを引退レースとすることが発表され、現役を続行することになった。

この年JRAのG1 2勝馬はローレルゲレイロ、ブエナビスタ、ドリームジャーニー、カンパニーと4頭もいたが、3勝馬はウオッカただ1頭。それもあって2年連続で最優秀4歳以上牝馬および年度代表馬に選ばれた。
2年連続の年度代表馬は牝馬では初めてで、牡馬を含めても史上6頭目の快挙だった。

6歳(2010年)

ドバイワールドカップ出走を見据えて、前哨戦のマクトゥームチャレンジラウンド3(G2 メイダン オールウェザー2000m)に出走。掛かり気味に先行するが、直線は伸びがなく大きく離れた8着に終わった(優勝は日本から参戦したレッドディザイア)。
このレースでも再び鼻出血を発症しており、ドバイワールドカップ出走を断念して引退することが発表された。

その後、2011年には顕彰馬に選定されている。これは牝馬としては史上4頭目のことだった。

競走生活の総括

2歳から5歳までJRAのG1を7勝。うち5勝は牡馬相手にあげたもので、まさに男勝りの活躍だった。特に3歳の日本ダービー、4歳の安田記念、天皇賞(秋)、5歳のジャパンCはいずれも印象的な勝ち方だった。前2走は末脚の切れが、後2走は勝負根性が印象的で、いずれもウオッカの勝負強さを表していると思う。

しかし東京競馬場以外で勝ったG1は2歳時の阪神JFのみで、東京とそれ以外の競馬場でのパフォーマンスの差が大きいのもウオッカの大きな特徴だった。それもあって4歳の京都記念以降は国内では東京のレースしか使わないという極端なローテーションをとっており、競走馬の評価としては人によって分かれるだろう。
個人的には様々な競馬場で結果を残したダイワスカーレットをより評価しているが、ウオッカの偉業が陰るものではないとも思う。

繁殖牝馬として

2010年からアイルランドで繁殖生活をスタートさせたウオッカは、シーザスターズやフランケルなどアイルランドやイギリスの種牡馬と交配され、2017年までに6頭の産駒を生んだ。そのうちの5頭は日本で競走生活を送った。

5頭はすべて谷水雄三氏の持ち馬として走り、第1子、第2子は未勝利に終わったものの、第3子のタニノアーバンシー(父シーザスターズ 2013年生まれ 牝)は4勝をあげて準OP。第4子のタニノフランケル(父フランケル 2015年生まれ 牡)も4勝をあげて、2019年小倉大賞典は1番人気で2着に入るなど重賞戦線で活躍。
第5子のタニノミッション(父インビンシブルスピリット 2016年生まれ 牝)は産駒で唯一G1に出走し、2018年阪神JFでダノンファンタジーの7着となった。
しかし残念ながら母の偉業に並ぶような競走成績を残す産駒を生み出すことはできなかった。
なおタニノフランケルは2022年から種牡馬入りして、レックススタッドで繋養されている。

ウオッカは2019年に種付けのために移動したニューマーケットで骨折が判明。懸命の治療が施されたが、蹄葉炎を発症して4/1に安楽死の処置がとられた。享年15歳。