ダイワスカーレット

性別 毛色 栗毛
生年月日 2004年5月13日 所属 栗東・松田国英厩舎
アグネスタキオン スカーレットブーケ (母父:ノーザンテースト)
戦績 12戦8勝
(8・4・0・0)
生産者 北海道千歳 社台ファーム
馬主 大城敬三 騎手 安藤勝己
おもな
勝ち鞍
桜花賞(2007),秋華賞(2007),エリザベス女王杯(2007),有馬記念(2008),
ローズS(2007),産経大阪杯(2008)

 ウオッカvsダイワスカーレット 天皇賞 運命の15分と二人の厩務員 スマートブックス

    私が競馬を本格的に見始めた1990年代には、G1で牡馬に勝つような牝馬はあまりいなかった。ノースフライトが1994年に安田記念、マイルCSとマイルG1を連勝したり、ヒシアマゾンが1994年の有馬記念、1995年のジャパンCで2着に入って女傑と呼ばれたり、エアグルーヴが1997年の天皇賞(秋)を勝って牝馬として26年ぶりの年度代表馬に選ばれたりというトピックスはあったが、あくまでも特殊なできごとという認識がされてきたと思う。

    その傾向が大きく変わってきたのは2000年代に入ってからだと思うが、決定的な出来事は2007年にウオッカが日本ダービーを勝ったことだろう。その後、牝馬の活躍が増えてきて、牝馬の時代と言われてアーモンドアイが芝G1 9勝を達成するなど、牝馬だからという理由で軽視することはできなくなった。

    そんな画期となったウオッカだが、同世代のダイワスカーレットの存在が大きく影響しているのは間違いない。もし桜花賞をウオッカが勝っていたら、次走は日本ダービーではなくオークスを選んでいたかもしれない。

    3歳(2007年)

    ダイワスカーレットの存在を初めて意識したのはチューリップ賞だった。前走牡馬相手にシンザン記念で2着だったダイワスカーレットは、阪神JF、エルフィンSと連勝中のウオッカに次ぐ2番人気。
    逃げたダイワスカーレットは直線でいったん後続を突き放すも、差してきたウオッカに余裕の脚色でかわされてクビ差2着。見た感じでは着差以上の力差を感じさせる内容で、同じ舞台で戦えば、何度やってもこの結果は変わらないだろうと思った。

    そこで桜花賞は当然ウオッカ中心の予想とした。大方の見方も同じだったようで、ウオッカが1.4倍の1番人気でダイワスカーレットは5.9倍の3番人気。フィリーズR完勝の武豊騎手騎乗のアストンマーチャンに2番人気(5.2倍)も譲り、実質的に1強+有力馬2頭(4番人気は34.7倍)という評価だった。

    レースでは外から先行するダイワスカーレットを3~4馬身離れてウオッカがマークする形。4コーナーではダイワスカーレットの1馬身後方までウオッカが詰めてきて、そのまま直線に向き、いつでもウオッカがかわして先頭に立ちそうな勢い。ところが一瞬ウオッカがダイワスカーレットにはじかれるシーンがあり、あわてたように四位騎手が追いだすとダイワスカーレットに馬体を合わせていく。するとウオッカの様子を何度も見ていた安藤勝騎手がダイワスカーレットにムチを入れ、そこから一気にウオッカを突き放す。
    ウオッカも必死に前を追うが、チューリップ賞で見せたような脚は使えず、1 1/2馬身差でダイワスカーレットが1着。上りタイムは2頭とも同じ33.6だったが、末脚の勢いは明らかにダイワスカーレットが上回った。
    トライアルのチューリップ賞でダイワスカーレットの安藤勝騎手がウオッカの末脚を測るような騎乗をしていたのは気になっていたが、それが本番に生きるとはと、あらためて一流騎手の戦略的な騎乗というものに驚かされた。

    桜花賞に敗れたウオッカは日本ダービー参戦を表明。オークスはダイワスカーレットの独壇場と思われていたが、残念ながら感冒により回避。一気に混戦模様となってしまった。

    ダイワスカーレットが復帰したのは、秋のローズS。1.6倍の1番人気に応えて、逃げ切ってオークス2着馬ベッラレイアに1/2馬身差で勝つと、秋華賞で再びウオッカと相まみえることになる。
    ダービーのあと宝塚記念で8着と敗れたウオッカは、ぶっつけでの出走となったが2.7倍の1番人気に支持される。対するダイワスカーレットは僅差2.8倍の2番人気。おそらく1600~1800mで逃げ先行で勝ってきたダイワスカーレットへの距離不安というのが、その人気に現れたのだろう。マイルに強い半兄ダイワメジャーの影響もあったと思う。

    レースでは好スタートのダイワスカーレットが前に行くが、内からヒシアスペンがハナを主張し、ダイワスカーレットは2番手。前を追いかけたがるダイワスカーレットを安藤勝騎手が必死になだめるが、向こう正面では前方がばらけて中団以降が固まる縦長の展開。それをウオッカは後方から追走する。
    3コーナー過ぎに抑えきれないようにダイワスカーレットが先頭に立つが、馬なりで余裕の脚色。それに対して周りの馬たちは必死に追いだす。直線に入って先頭のダイワスカーレットが追い出すと、一気に差を広げる。外から懸命にウオッカも差を詰めてくるが、先に抜け出していた7番人気レインダンスも捉えられず3着まで。ダイワスカーレットが1 1/2馬身差で勝ち、再度ウオッカを下して桜花賞との2冠達成となった。

    続くエリザベス女王杯で、4度目となるウオッカとの対決が期待された。ここまでダイワスカーレットの2勝1敗だったが、距離延長が不安視されて前日発売ではやはりウオッカが1番人気となりダイワスカーレットは2番人気。
    ところが当日ウオッカが脚部不安により取り消したことで、ダイワスカーレットは1.9倍の圧倒的な1番人気となった。
    好スタートを切ったダイワスカーレットは、やや掛かり気味に逃げると安藤勝騎手がうまくスローに落とす。最後は詰め寄られるも力強く逃げ切り、初の古馬との対戦にも関わらずG1 3勝目を飾る。

    さらに秋4戦目となる有馬記念にも参戦。歴戦の牡馬一線級相手ではあったが8.1倍の5番人気。ちなみにウオッカも出走し、こちらは6.9倍の3番人気。やはり初の2500mという距離が人気に大きく反映していた。
    ここでも先行したダイワスカーレットは、4コーナーをマツリダゴッホと並んで先頭で回る。直線ではマツリダゴッホには突き放されたが、後ろから差を詰めてきた兄のダイワメジャーには抜かせず2着を確保。力のあるところを見せた。3歳牝馬としてはヒシアマゾン以来の連対で史上4頭目の快挙だった。
    ちなみにウオッカは11着と大敗し、翌年初戦の京都記念を最後に、以後は国内では得意な東京競馬場のレースに専念することになる。

    ダイワスカーレット
    ダイワスカーレット 有馬記念出走時 2007年12月23日 中山競馬場

    これで3歳シーズンは、重賞のみ7戦して4勝(うちG1 3勝)2着3回の成績。JRA賞では最優秀3歳牝馬と最優秀父内国産馬(2007年限りで廃止)のダブル受賞となった。

    4歳(2008年)

    翌2008年、4歳になったダイワスカーレットは、ドバイワールドカップの選出馬となったため、その前哨戦として初ダートとなるフェブラリーS出走を目指したが、目のケガにより両レースを回避。初戦は産経大阪杯(当時G2)となった。そこを1番人気で逃げ切って勝ち、重賞5勝目を挙げる。
    しかしその後、骨瘤を発症して春シーズンは全休。復帰は秋となった。

    ダイワスカーレット
    ダイワスカーレット 天皇賞(秋)出走時 2008年11月2日 東京競馬場

    そして休み明けの復帰戦に選ばれたのが天皇賞(秋)。意外にもこれが初の東京競馬場でのレースとなった。
    しかしこれまでで最長の休み明けに加えて、逃げ馬には不利な東京コース、陣営からの微妙なコメントもあり、3.6倍の2番人気。1番人気は春に安田記念を制し、休み明けの毎日王冠でアタマ差2着と好走したウオッカ。武豊騎手騎乗もあり2.7倍とやや差がついた形になった。
    個人的にも、ここはウオッカだろうと思い、さすがにダイワスカーレットは厳しいだろうと見ていた。

    好スタートを切ったダイワスカーレットは、久々ということもあり、やや掛かり気味にハナを切る。対するウオッカは中団を追走。
    1000m通過は58.2。安藤勝騎手はうまく抑えているように見えたが、やはりダイワスカーレットのペースは速く、さすがにこれで逃げ切るのは難しいだろうと思った。
    そのまま2馬身差の先頭で直線を向くと、残り400mで早くも安藤勝騎手の手が動いてダイワスカーレットを追い出す。離れた外からはその年のダービー馬ディープスカイとウオッカが並んで差してきて、残り200mを切って内ラチ沿いのダイワスカーレットに大外のウオッカとディープスカイが並びかける。
    さすがのダイワスカーレットもここまでで、4番手以降は離れていたので、ウオッカとディープスカイで決まったと思った。そして残り100mを切って、いったんはウオッカが先頭に出たように見えたが、そこからなんとダイワスカーレットが差し返す勢いで再び伸びて先頭を奪い返す。残り50mぐらいは内外離れて壮絶な追い比べとなった。後続も迫る中、2頭がほぼ並んでゴール。
    スローのリプレイを見てもどちら勝ったかわからないぐらいの接戦だったが、長い写真判定の結果、軍配はウオッカに上がった。その差はわずか2cmと言われる。

    2005年のヘヴンリーロマンス以来の牝馬の戴冠となったウオッカはもちろん素晴らしかったが、7か月の休み明けで初の東京。しかも各馬の目標とされる逃げでかつハイペースという不利な条件を跳ね返して、わずか2cm差の2着に入ったダイワスカーレットの頑張りには、驚きを通り越して感動さえ覚えた。何という馬だろうと思ったことを覚えている。
    しかもそのタイムは当時のレコードを0.8秒も更新する1.57.2。それを逃げて達成したのだから、いかにスピードとスタミナに長けていたかがわかる。

    その勢いのまま次走は有馬記念に出走。前年の覇者マツリダゴッホやジャパンC勝ち馬スクリーンヒーローを抑えて2.6倍の1番人気に支持される。
    好スタートからハナを切ったダイワスカーレットは、いつものように掛かり気味に2番手を離して逃げる。4コーナーではマツリダゴッホやスクリーンヒーローが並びかけてくるが、直線に入ると突き放す。そのままリードを保って逃げ込みを図り、最後はアドマイヤモナークやエアシェイディに詰め寄られるが、1 3/4馬身差で逃げ切って1着。
    牝馬としては1971年のトウメイ以来37年ぶり、史上4頭目の優勝馬となった。しかしこの年はG1 1勝のみだったこともあり、快挙を達成したにもかかわらずJRA賞の受賞はなかった。

    5歳(2009年)

    翌2009年5歳になったダイワスカーレットは、再びドバイワールドカップを目指し、フェブラリーS出走を予定していたが脚部不安を発症。検査の結果屈腱炎が判明し、そのまま引退が決まった。

    競走生活の総括とその後

    生涯成績は12戦8勝2着4回とパーフェクト連対。デビューからの連続連対数は牝馬としては1位の記録。G1は4勝にとどまったが、怪我がなければもっと勝てたはずで、歴史的な名牝といってもいいだろう。
    引退後は生まれ故郷の社台ファームで繁殖入りし、2021年までに11頭の産駒を出産。そのうち10頭が牝馬で、最後の1頭だけが牡馬だった。
    2023年に19歳で繁殖牝馬を引退。残念ながらまだ重賞勝ち馬は生まれていないが、残り少ない産駒に期待したい。