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タイキシャトル

性別 毛色 栗毛
生年月日 1994年3月23日 所属 美浦・藤沢和雄厩舎
デヴィルズバッグ ウェルシュマフィン (母父:カーリアン)
戦績 13戦11勝
(11・1・1・0)
生産者 アメリカ Taiki Farm
馬主 大樹ファーム 騎手 岡部幸雄、横山典弘
おもな
勝ち鞍
マイルCS(1997,1998),スプリンターズS(1997),安田記念(1998),
ジャック・ル・マロワ賞(1998),スワンS(1997),京王杯SC(1998),ユニコーンS(1997)
タイキシャトル 世界を制した栗色の疾風
 

振り返ってみると、最初に世界に対して日本競馬の存在感を示したのは、1990年代後半に当時の状況を反映して、盛んに輸入されるようになった外国産馬たちだった。
時を同じくして始まったNHKマイルCが実質的に3歳外国産馬のNo.1を決める場になり、シーキングザパール、エルコンドルパサー、イーグルカフェ、クロフネなどの外国産スターホースたちを次々に生み出していった。その中から海外のビッグレースで活躍する最初の馬たちが出てきた。

タイキシャトルも、デビューが3歳(当時4歳。以下現年齢で表記)の4月と遅かったため、NHKマイルCこそ間に合わなかったが、のちには上記の馬たちに勝るとも劣らない活躍を見せた。特にその短距離での強さは、卓越したものだった。
そしてその明るい毛色と人懐こい性格もあったのか、引退後も含めてとても人気がある馬だった。

タイキシャトルは、1997年4月にデビューすると3連勝。4戦目のOPこそクビ差2着に敗れたものの、秋に復帰するとそこからダートのユニコーンS、芝のスワンSと、馬場を問わず重賞を連勝する。
そして3歳馬ながら古馬に交じって初めて臨んだG1マイルCSでは、ジェニュインやキョウエイマーチ、サイレンススズカなどを相手に2番人気に支持される。レースでは力強い末脚で差し切って、キョウエイマーチに2 1/2馬身差の圧勝。しかしそれはまだ本当の強さの片りんを見せたにすぎなかった。

続くスプリンターズSは初の芝1200mにもかかわらず、1.9倍の1番人気に応えて好位から余裕で抜け出し、1 3/4馬身差をつける勝利。3歳馬ながらフラワーパークやキョウエイマーチなどを破って古馬G1を連勝。すでに短距離では敵がいないのではと感じさせる強さで、1997年JRA賞の最優秀短距離馬に選ばれた。

そして1998年、4歳になるとさらに連勝街道を突き進む。
京王杯SCを圧勝して臨んだのが、春のマイル王決定戦安田記念。大雨で煙って向こう正面がかすむほどの不良馬場を好位で進み、4コーナーで馬場の良い外を回すと、泥だらけになりながらも1頭だけスイスイと抜け出してきて、楽勝したことをよく覚えている。その重い馬場での強さには、本当に驚かされた。
思い返してみると、タイキシャトルのレースを生で見たのはこの安田記念だけだったこともあり、余計に印象深いということもあるかもしれない。

そして夏にはヨーロッパを代表するマイルG1ジャック・ル・マロワ賞に出るために、フランスに遠征。
日本調教馬による初の海外G1制覇が現実になるという期待を抱かせるに十分な実績を持っていることもあり、個人的にも注目していた。特にフランスは馬場が悪いというイメージが強く、不良の安田記念での強さが、その想いを大きく後押ししていた。
ところが、1週前に行われたG1モーリス・ド・ゲスト賞をシーキングザパールが勝つという快挙があり、ほぼノーマークだったがゆえにこちらが海外初G1制覇だったかと驚いたが、逆により実績上位のタイキシャトルへの期待が盛り上がることになった。

当時は今のようにTV生中継が行われてはいなかったと思うので、翌朝にその快挙を知ることとなった。
後で見たVTRでは、初めて見るマイルの直線コースへの新鮮な驚き、特にどこで追い出せばいいのかよくわからないということで、騎乗した岡部騎手の苦労もしのばれた。そしてヨーロッパらしい一団での競り合いを最後までしのいで勝ちきるタイキシャトルの、特に精神面での強さには、あらためて感心させられた。

そして帰国初戦のマイルCSは1.3倍の圧倒的な人気に応え、先行して5馬身差の圧勝で連覇を達成。マイル以下では世界に敵なしということを強く印象付けた。
これで3歳のユニコーンSからG1 5勝を含む重賞8連勝。これはJRAではテイエムオペラオーと並ぶ最多記録だった。

次走はいよいよ引退戦となるスプリンターズSに向かう。
レース後に引退式が行われることが発表されると、それほど自信があるのだと思われたのだろう。当日はなんと1.1倍という人気。前年に強い勝ち方をしているので、ここは花道ということできれいに圧勝して競馬場をあとにすると、多くの人が思っていた証拠だと思う。

ところが好事魔多し。
好スタートから好位を進んだタイキシャトルは、4コーナーで馬場の良い外目を回して、直線は余裕で先頭に立とうとする。しかし外から並びかけてきたマイネルラヴが粘りを見せて振り切ることができない。岡部騎手が懸命に追うものの、マイネルラヴに前に出られてしまう。
それでも差し返そうと最後まで頑張るものの、ゴール前で力尽きた感じで、最後は大外を一気に追いこんできたシーキングザパールにもかわされて、生涯で初めて連対を外す3着に。
引退式を前になんとも締まらない結果となってしまい、「やってしまった」というかなり残念な雰囲気に競馬場(東京競馬場でリモート観戦していたのだが)がなったことを、今でもよく覚えている。

しかしこの年に海外を含むG1 3勝ということで、マイル以下を主戦場とする馬としては初めてJRA賞の年度代表馬に選出。短距離馬の地位向上に大きく貢献したといえるだろう。

1999年から種牡馬入りしたタイキシャトルは、浦河のイーストスタッドと日高のアロースタッドを2年おきに移動する生活を送っていたそうだが、2000年と2007年にアロースタッドを訪れた時に会っている。
なかなか顔を出さない馬もいる中、タイキシャトルは常に顔を出してサービス精神旺盛な印象。たぶん人が好きなのだろうなと思わせた。写真を撮られることがわかっているのか、常にポーズを決めてみせて、人気ものだった。

タイキシャトル

タイキシャトル
タイキシャトル 2000年9月25日 アロースタッド


タイキシャトル

タイキシャトル
タイキシャトル 2007年9月18日 アロースタッド


そして最後に会ったのは2019年。2017年に種牡馬を引退してヴェルサイユファームで功労馬として繋養されていた。
事前の説明で、噛むのであまり近づかないようにと注意を受けていたので、おっかなびっくり見ていたのだが、すぐに寄ってきて目の前で草を食べ始めた。噛むのもおそらく親愛の情の表現だろうし、相変わらず人が好きなんだと思わせる振る舞いだった。

タイキシャトル

タイキシャトル

タイキシャトル
タイキシャトル 2019年8月25日 ヴェルサイユファーム


種牡馬としては、ウインクリューガー(2003年 NHKマイルC)、メイショウボーラー(2005年 フェブラリーS)と2頭のG1馬を輩出。ほかにもおもにマイル以下で活躍する馬を多く生み出したが、自身の競走成績に迫るほどの馬は、残念ながら出すことはできなかった。

そのタイキシャトルの突然の訃報を聞いたのは2022年8月17日。余生を送っていた養老牧場ノーザンレイクで、朝馬房で死んでいるのが発見された。老衰による心不全で静かな最期だったとのこと。前日まで元気だったそうで、突然のことに驚きと悲しみを禁じえなかった。
ちょうどその年の8月14日に行われたジャック・ル・マロワ賞に、バスラットレオンが出たこともあり、24年前の快挙を振り返る映像がTVでたびたび流れたため、久々に思い出す人が多かったのだろう。そんな中での悲しい知らせだったので、より大きな話題となった。

死後も多くの花が贈られるなど、その強さと人懐こい明るい雰囲気もあり、多くの人に愛された生涯だったと思う。ただ今から思うと、2000m以上でのレースも見てみたかった。おそらく藤沢和師も同じ思いで、それがグランアレグリアの挑戦につながったのではないだろうか。
いつまでも記憶に残る馬として、語り継ぎたい1頭だ。



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