性別 | 牡 | 毛色 | 鹿毛 |
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生年月日 | 1989年4月23日 | 所属 | 栗東・戸山為夫厩舎,栗東・森秀行厩舎 |
父 | モガミ | 母 | ドンナリディア (母父:ジムフレンチ) |
戦績 | 32戦7勝 (7・5・2・18) |
生産者 | 北海道静内 へいはた牧場 |
馬主 | ホースタジマ | 騎手 | 小島貞博、小谷内秀夫、河内洋、武豊、蛯名正義、 村本善之、的場均、M.ロバーツ、南井克巳、芹沢純一 |
おもな 勝ち鞍 |
セントライト記念(1992),ジャパンカップ(1993) |
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馬のどこに魅力を感じるのかということは、人によって違うだろうし、馬によっても違う。速さ、強さ、美しさなどがサラブレッドの代表的な魅力だと思うが、他の馬とは一味違う特徴というのも、人気のきっかけになったりする。ずいぶん前に、勝てないことで話題になったハルウララという馬がいたが、それも一つの例だろう。
レガシーワールドについては、何といってもその気性の激しさだと思う。パドックで見るレガシーワールドは、常にツルクビでちゃかちゃかと小脚を使って歩き、汗をかいて、尋常ではない入れ込み具合。まずパドックでは真っ先に馬券対象からは外したくなる見た目だった。馬場入場後も騎手を乗せた返し馬はできず、スタート地点まで厩務員が引いて行った。
そういう場合、折り合いを欠く馬も多いが、レガシーワールドは不思議とレースでは掛かることは少なく、きちんと折り合っていたのが印象的だった。そのあたりは、強い馬の素質が現れていたのかもしれない
レガシーワールドがデビューしたのは1991年8月18日、函館芝1200mの新馬戦。しかし出遅れると、最速の上りで差すも差のある4着まで。その後も気性難からスタートをうまく切ることができず、負けが続く。結局2歳(当時3歳)では勝つことができず、戸山師は去勢することを決断する。
そしてレガシーワールドが初勝利をあげたのは、翌1992年7月11日の福島芝1800m未勝利戦。同厩舎のミホノブルボンは無敗で皐月賞、ダービーの2冠を勝って、3冠を目指して夏休みに入っていた。後に戸山厩舎の2枚看板となる両頭だが、この時点ではとてつもなく大きな差がついていたのである。
初勝利の後は、順調に500万下、900万下と勝ち、9月27日のセントライト記念に駒を進めてきた。初勝利からわずか2か月半の快挙である。ここでうまくマイペースで逃げたレガシーワールドは、中団から差を詰めてきたダービー2着馬ライスシャワーにいったん交わされるも、二の脚を使って差し返し、アタマ差で勝って重賞初制覇を果たす。後に菊花賞でミホノブルボンの3冠を阻止するライスシャワーに対して、事前にお返しをしていたのである。
セントライト記念は勝ったものの、せん馬のため菊花賞には出走できず、芝2400mOPを連勝した後、ミホノブルボンが故障で回避したジャパンカップに出走する。トウカイテイオーが鮮やかに復活したとても印象的なレースだったが、ここで逃げたレガシーワールドは、10番人気ながら4着に粘り、力のあるところを見せた。
さらに続けて出走した有馬記念では、あれよあれよと逃げ切ったブービー人気のメジロパーマーに、最後に1頭だけ鋭い脚で迫ってハナ差の2着。戸山厩舎所属の小谷内騎手ともども、初のG1制覇を僅差で逃したのだった。
翌1993年、4歳(当時5歳)になったレガシーワールドは、1番人気のAJCCでホワイトストーンの2着に敗れ、その後骨折により秋まで休養に入る。この間に、戸山調教師ががんで亡くなり、森厩舎に転厩する。これにより河内騎手に乗り替わりとなった。
戸山調教師は、基本的に自厩舎の馬には所属騎手の小島貞騎手か小谷内騎手を乗せており、レガシーワールドの主戦は小谷内騎手だった。しかしセントライト記念は小島貞騎手が乗って勝っており、小谷内騎手は有馬記念、AJCCの2着までと残念ながら重賞は勝てなかった。森調教師は戸山厩舎で修業をしながら、騎手起用に関しては師匠と違ってドライで、競馬では乗り替わりは日常茶飯事とはいえ、寂しさを感じた。
休み明けの京都大賞典でメジロマックイーンの2着に好走したレガシーワールドは、前年に続いてジャパンカップに出走する。
この年のJCは海外招待馬が強力だった。1番人気はBCターフを制して来日したコタシャーン。この年、米G1を4勝しており、名実ともにアメリカの芝ではNo.1の馬。2番人気は、翌年武豊騎手鞍上で凱旋門賞に出走するホワイトマズル。この年は凱旋門賞2着からの参戦だった。そして3番人気は、アーリントンミリオン、マンノウォーSと連勝して臨むスターオブコジーン。日本馬では、その年のダービー馬ウイニングチケットの4番人気が最高だった。
その中で、レガシーワールドは単勝12.5倍の6番人気。好走はするものの、勝ちきれないイメージがこの評価になったのだろう。
パドックでのレガシーワールドは、相変わらず入れ込みがひどく見栄えがしない。それに対して初めて見るコタシャーンは、筋肉が隆々として、黒鹿毛の体は油を塗ったかのようにテカテカと光り輝いており、丁寧に編み込まれたたてがみもあいまって、印象は黒人の一流スポーツ選手という感じ。正直言ってこの馬で仕方ないかなと思った。
しかし前年のJCや有馬記念の頑張りを思い出し、少なくても日本馬では一番強いはずと、応援するのはレガシーワールドと決めてレースに臨んだ。
レースでは、逃げるメジロパーマーを、レガシーワールドは2~3馬身差の2番手で追走。そのままの態勢で手ごたえよく4コーナーを回っていく。このあたりから、控えめに「レガシ~」と声援を送り始めた。前のメジロパーマーも必死に追い、また後続も一気に迫ってくるので、まだ大勢はわからないが、だんだん自分の声援も大きくなっていく。
そして残り200m手前で内のメジロパーマーを交わしてレガシーワールドが先頭に立ってからは、必死に「レガシー!」と連呼する。外から何頭か馬が迫ってくるのは見えるが、何が来たのかはわからない。先頭のレガシーワールドだけを見て、「レガシー、レガシー」と大声で叫び続けた。そのまま粘ったレガシーワールドは、迫る後続を1馬身ほど抑えて先頭でゴール。「やったー!」と友人に向けた叫んだ声は、ガラガラに枯れていた。おそらくこれが、競馬を見てもっとも叫んだレースだと思う。
この時の2着がコタシャーン。このころは残り100mのところにハロン棒が立っていたのだが、鞍上のK.デザーモ騎手が、それをゴール板と間違えて、追うのをやめて腰をあげるという、名手には珍しい大きなミスを犯してしまう。すぐに気づいたデザーモ騎手はあわてて再度追い出すも、1 1/4馬身差は詰まらなかった。ビデオを見る限り、それがなくても交わすのは無理だったと思うが、当時は大きな問題となり、残り100mのハロン棒も撤去された。
晴てG1馬となったレガシーワールドは、続いて有馬記念に出走。当時JC上位馬は有馬記念では来ないと言われていたが、それでも先行有利の中山ということもあり、菊花賞馬ビワハヤヒデに次ぐ2番人気に支持された。
個人的には、大好きなトウカイテイオーとビワハヤヒデが出走する中で、かなり悩ましいものの、やはりレガシーワールドも応援したいと、2頭から少し厚めに買ったことを覚えている。しかしやはりJCの疲れが大きかったのか、4コーナー手前から手ごたえが悪くなる。直線は壮絶な追い比べを繰り広げるトウカイテイオーとビワハヤヒデからはどんどん離され、結局0.8秒差の5着に終わった。
その後、屈腱炎を患ったレガシーワールドは、せん馬ということもあり引退することなく治療に専念。復帰したのは2年後の1995年の函館記念。すでに6歳(当時7歳)となっており、斤量も58kgだったが、実績もあり2番人気に支持された。レースでは逃げたものの、早々に脱落して最下位16着。
その後も、地方の重賞などいろいろと走り続けたが、結局輝きを取り戻すことなく、翌1996年の宝塚記念8着を最後に引退した。
引退後は、生まれ故郷のへいはた牧場に帰って、功労馬として繋養された。
2007年に馬産地巡りをした際に、静内の競走馬のふるさと案内所を訪れると、レガシーワールドの案内チラシがおいてあり、ちょうど時間に余裕があったので行ってみた。牧場の向かいに放牧地があり、そこにポニー1頭といっしょに放牧されているのがレガシーワールドだった。牧場や種馬場では当然馬に触れることは厳禁なのだが、ここでは自由に触れることができ、行った時には若者の団体がいて、鼻に触れながら代わる代わる写真を撮っていた。
レガシーワールドというと気性の粗いイメージがあり、噛まれるのではないかという心配もあったが、実際はとても人懐こく、噛むこともないという。
2019年にも再度訪れてみたが、この時は牧場に誰もおらず、残念ながらどこにいるのかがわからなかった。とりあえず入口から一番近い厩舎にいる馬がレガシーワールドかなと思って、写真だけ撮って帰ってきた。
馬の場合、遠目だと顔の流星ぐらいしか見分けるポイントがないのだが、レガシーワールドの場合、眉間に小さな白い点のようにあるだけなので、ちょっとわかりにくい。でもいろいろな写真と比べてみると、似ているのでおそらく間違いないのではと思う。
そんなレガシーワールドだったが2021年8月18日に息を引き取った。老衰で穏やかな最期だったという。
32歳とかなりの高齢で、大往生だったといえるだろう。残念ながら子孫を残すことはなかったが、個性的という意味でも強く記憶に残る1頭だった。
レガシーワールド 2007年9月18日 へいはた牧場
レガシーワールド 2007年9月18日 へいはた牧場
レガシーワールド 2019年8月23日 へいはた牧場