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ロイスアンドロイス

性別 毛色 鹿毛
生年月日 1990年3月10日 所属 美浦・松山康久厩舎
トニービン ザッツマイパル (母父:キートゥザミント)
戦績 28戦3勝
(3・9・7・9)
生産者 北海道早来 社台ファーム
馬主 テンジン 騎手 坂井千明、安田富男、後藤浩輝、竹原啓二、岡部幸雄、
横山典弘、田中勝春
おもな
勝ち鞍
むらさき賞(1500万下 1994),サロベツS(1500万下 1994)
 

競走馬の存在価値は、レースで勝つことでしか証明できないというのが普通の考え方だろう。
未勝利を続けて人気になったハルウララという高知競馬の牝馬がいたが、2004年に黒船賞騎乗のために遠征した武豊騎手が騎乗するということで話題になり、実際に私も大井競馬場に単勝馬券を買いに行った。その時に武豊騎手が、勝てない馬が重賞出走馬より大きな話題になるのはおかしいというようなコメントをしているが、常に勝つことを目指すホースマンとしては、当然の思いだと思う。

一方、勝てないことで話題や人気になる馬がいるのも事実で、日本人が好きな判官びいきのような心情が影響しているのだろう。
例えばG1で惜敗を繰り返したホワイトストーン、ナイスネイチャ(ワイド馬券導入時にキャンペーンキャラクターになった)、ステイゴールドなどは、なかなか勝てないながらも(ゆえに?)、根強い人気があった。
ステイゴールドなどは、G1 2着が何度もありながら重賞も勝てず、長らくおもな勝ち鞍が阿寒湖特別(900万下)という時期が続いた。7歳(現6歳)で初めて目黒記念で重賞を勝った時は、大きな拍手が起きたことを覚えている。

そして勝てないといえば、個人的に強く印象に残っているのがロイスアンドロイスだ。
1992年12月にデビューしたロイスアンドロイスは新馬戦で3/4馬身差2着。陣営はそれを見てすぐに勝てると思っただろう。しかし折り返しの新馬戦も3/4馬身差2着に敗れ、一息入れた翌年2月の未勝利戦は逃げて3着。その後も未勝利戦で2着を繰り返す。
いつロイスアンドロイスのことを意識したのかはよく覚えていないが、春にはその存在は知っていたと思う。そして4月3日の未勝利戦で2着に敗れた時点で、6戦して2着5回3着1回という成績だった。

その後、驚くような話が伝わってくる。なんと未勝利のままダービートライアルの青葉賞に挑戦するというのだ。当時OP特別だった青葉賞は、2着までに入るとダービーの優先出走権が与えられたが、未勝利馬は1着にならないと権利が取れない。
幸運にもフルゲートにならず出走できたロイスアンドロイスは、それまでの坂井騎手に代わって安田富騎手が乗り、当日6番人気に支持される。用事があって外出先のラジオで聞いていたのだが、ロイスアンドロイスが上がってきたと聞いて、思わず応援の声が出る。
しかし残念ながら奇跡は起こらず、勝ったステージチャンプに2 1/2馬身差の3着に終わった。とはいえ、未勝利の身でこの成績はすばらしく、最強の未勝利馬と呼ばれるようになる。

6月に東京芝1800m未勝利を後藤騎手鞍上で5馬身差の圧勝。ようやく未勝利を脱する。
その後、夏も休みなく走り続けるが、ラジオたんぱ賞で3着に敗れると、夏の新潟の500万下で2戦続けて2着。そしてセントライト記念も2着と敗れ、最強の1勝馬と呼ばれるようになった。

セントライト記念で優先出走権が取れたため、1勝馬ながら菊花賞に参戦する。横山典騎手鞍上のロイスアンドロイスは、春のクラシックで3強と呼ばれたビワハヤヒデ(皐月賞、ダービーともに2着)、ウイニングチケット(ダービー馬)、ナリタタイシン(皐月賞馬)に次ぐ4番人気という高い支持を受ける。
しかし休みなく走り続けている影響もあったのか、中団後方から伸びきれず、勝ったビワハヤヒデからは1.8秒差7着に終わった。

翌1994年、5歳(現4歳)になったロイスアンドロイスは、5月と8月に準OPの1500万下(現3勝C)を2勝すると、オールカマー3着を経て、本格的にG1に参戦する。
天皇賞(秋)は11番人気という低評価ながら、中団から進めると直線はじりじりと伸びて、勝ったネーハイシーザーに0.3秒差3着に好走。ビワハヤヒデが圧倒的な1番人気ながら怪我もあって5着に敗れた印象的なレースだったが、しぶとい末脚で存在感を示してくれた。

続くJCも、前走はフロックと思われたか8番人気だったが、好位を進むと直線は早めに進出していったんは先頭に立つ。しかし最後は内からマーベラスクラウン、パラダイスクリークに交わされて、0.2秒差と惜しい3着に敗れた。
個人的にはパラダイスクリークから買っていて、マーベラスクラウンとの組み合わせで好配当をゲットした。ロイスアンドロイスが2着以内に来たらはずれだったので、馬券的にはほっとしたのだが、1番G1勝ちに近づいたレースであり、少し残念でもあった。

1995年、6歳(現5歳)初戦は産経大阪杯(当時はG2)で復帰して4着に入るが、その後は順調に使えず秋に復帰。当時OPの富士Sこそ3着に入るが、その後JC、有馬記念とも7着と精彩を欠いた走りを繰り返す。
1996年に7歳(現6歳)になっても現役を続けるが、すっかり見る影もなく天皇賞(春)は2.5秒差11着。なかば忘れられた存在になっていた中、突然訃報が届く。放牧中に腸ねん転を起こしたのだった。

最近は、新馬戦を取りこぼした良血馬が、いきなりOPや重賞に挑戦する例もあるが、そんな馬でも未勝利戦に戻れば圧勝する。未勝利戦2着を5回も繰り返す例はなかなか見られないし、未勝利の身でトライアルからダービーを目指す無謀な馬もいない。そういう意味でも、私の中で最強の未勝利馬はやはりロイスアンドロイスである。


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