性別 | 牡 | 毛色 | 青鹿毛 |
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生年月日 | 2003年3月14日 | 所属 | 栗東・松田博資厩舎、美浦・稲葉隆一厩舎 |
父 | フジキセキ | 母 | グレースランド (母父:トニービン) |
戦績 | 22戦3勝 (3・7・3・9) |
生産者 | 北海道白老 白老ファーム |
馬主 | ジョイ・レースホース セゾンレースホース |
騎手 | 高田潤、横山典弘、安藤勝己、岩田康誠、 M.デムーロ、四位洋文、内田博幸、 松岡正海、蛯名正義、三浦皇成 |
おもな 勝ち鞍 |
神戸新聞杯(2006),きさらぎ賞(2005) |
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競技においては勝利の価値が絶対で、あとは2位でもビリでも同じと言われることがある。一方で負けを知ることで勝つために何が必要かを学ぶことができるので、負けることにも意味があるという考えもある。
競馬においても、1着と2着では場合によっては天と地ほどの差があり、関係者からは前者のような話を聞くことが多い。しかし馬券という観点からは2,3着も重要であり、勝てないながらも常に上位に来る馬はある程度評価されるし、判官びいき的な感情からファンが多かったりする。
そんな勝ちきれない馬の1頭として印象深いのがドリームパスポートだ。2006年のクラシックを戦ったこの世代はタレントが多く、また1世代上にディープインパクトがいたこともあり、芝中長距離を主戦場にする馬の関係者の中には、生まれた年が悪かったと思う人も多かっただろう。ドリームパスポートもそうだったのではないだろうか。
2歳(2005年)
ドリームパスポートは2005年9月3日に小倉芝1200m新馬戦でデビューするが、距離不足もあったのか、のちに阪神JFを勝つテイエムプリキュアの3着。続く中2週の阪神芝2000m未勝利は、4連勝で東スポ杯、朝日杯FSと制することになるフサイチリシャールの2着と連敗。ようやく3戦目の京都芝1600m未勝利戦を4馬身差で快勝してうっ憤を晴らす。
しかしOP萩Sは再びフサイチリシャールに敗れ、続くOP京都2歳Sもデイリー杯2歳Sを勝ったマルカシェンクの2着。
結局ドリームパスポートは2歳時に5戦して1・3・1・0と、好走するが勝ちきれない馬という印象を残す。しかし重賞勝ち馬と差のない勝負をしており、力の片りんは見せていた。
3歳(2006年)
2006年、3歳初戦のきさらぎ賞は、未勝利戦を勝った安藤勝騎手を鞍上に迎え、のちに皐月賞、ダービーを勝つメイショウサムソンに次ぐ2番人気となる。後方から進めたドリームパスポートは4コーナーでも後方。しかしそこからメンバー1となる34.2の脚を繰り出すと、先行していたメイショウサムソンを差し切り1/2馬身差で重賞初勝利をあげた。しかしM.デムーロ騎手に乗り替わったスプリングSは、後方から追いこむも、先行していたメイショウサムソン、フサイチリシャールにクビ+ハナ差及ばず3着惜敗。力のあるところは見せながら、またもや勝ちきれなかった。
そしてクラシック初戦の皐月賞に向かう。
この時点で2・3・2・0と安定感は買えたが、個人的にはかなり軽視してしまった。その理由として、まずこの年は前哨戦で好成績の馬が多かったことがあげられる。1番人気は6戦5勝で重賞3勝の、同じ松田博厩舎所属で武豊騎手騎乗アドマイヤムーン。さらにデビュー4連勝中のフサイチジャンク。朝日杯FS勝ちで3歳になっても重賞2着2回のフサイチリシャール。ラジオたんぱ杯勝ちのサクラメガワンダー。朝日杯FS1番人気3着で京成杯勝ちのジャリスコライト。そしてメイショウサムソンと、実績のある馬たちが目白押し。
またドリームパスポートの父フジキセキからの距離不安、松田博厩舎所属の8年目高田潤騎手の騎乗、出遅れて追い込むレースぶりが中山でどうか、などの不安材料もあった。
そのためかドリームパスポートは10番人気とかなりの人気薄での出走となった。
2番枠から5分のスタートを切ったドリームパスポートは最初は下げて、やや抑えた感じで中団を進む。そのまま内ラチぴったりを余裕の脚色で回ると、直線は抜け出したフサイチリシャール、さらに先行するメイショウサムソンめがけて猛然と追いこんでくる。残り100mを切って先頭に立ったメイショウサムソンに内から馬体を合わせて懸命に伸びるが、最後は脚色が一緒になり1/2馬身差の2着。しかし3着フサイチジャンクは2馬身離し、G1で勝ち負けできる力があることを強く印象付けた。
ドリームパスポート 2006年4月16日 皐月賞出走時 中山競馬場
いつもどおり後方から進めたドリームパスポートは、4コーナーで馬場中央に出すとうまく前が空いて、直線は末脚を繰り出す。しかし逃げたアドマイヤメインとそれに並びかけるメイショウサムソンからはやや離され、最後は勝ったメイショウサムソン、クビ差2着アドマイヤメインから2馬身差の3着まで。堅実に上位には来るが、勝ちきれないという結果に終わった。
ドリームパスポート 2006年5月28日 日本ダービー出走時 東京競馬場
そして3冠最後の菊花賞に、2戦目の未勝利戦以来の横山典騎手とのコンビで挑むことになる。
ここでもやはり距離不安がささやかれ、馬体重が春から変わらないことから成長力にも疑問符がついたが、トライアルを勝ったこともあり、3冠を目指すメイショウサムソンに次ぐ2番人気と、初めてG1で上位人気に推された。
中団前目につけたドリームパスポートは、メイショウサムソンをマークする形。4コーナーはやや膨れ気味に外を回すと、大逃げを打ったアドマイヤメインをめがけて一気に差を詰める。外からソングオブウインドが迫ってくるとまた一伸びして、2頭で併せ馬の状態に。ゴール50mほど手前でアドマイヤメインを交わして一瞬先頭に立つが、ゴール寸前で外のソングオブウインドに交わされクビ差2着と涙をのんだ。
これでクラシックは2着、3着、2着とあと一歩届かず、なんとももどかしい結果に終わった。しかし距離伸びた菊花賞が最も惜しい結果となり、これ以降、距離不安を言われることはなくなった。
次走は初の古馬との対戦となるジャパンCとなった。ここには凱旋門賞で3位入線後失格となったディープインパクトが帰国初戦として参戦。1.3倍の圧倒的な人気となる。
ドリームパスポートの鞍上は萩S以来2度目となる岩田騎手で、メイショウサムソンに次ぐ16.2倍の5番人気という評価だった。前年の有馬記念でディープインパクトを破ったハーツクライが2番人気だったが、個人的にはドリームパスポートを評価していた。その安定感と距離伸びても衰えない鋭い末脚が、直線の長い東京競馬場の舞台であれば、初の古馬相手のG1であっても通用すると思ったのである。
そのため勝負馬券は、ディープインパクトとドリームパスポートの2頭固定の3連複流し5点とした。
逃げ馬不在でスローペースが予想される中、ドリームパスポートはいつもより前目の4,5番手の内につける。4コーナーは馬場の悪い内をあけて外を回る馬が多い中、前が空いたドリームパスポートは内を突いて残り300mで一気に先頭。そのまま懸命に粘って先頭をキープするが、残り100mを切って大外から伸びてきたディープインパクトに交わされる。さらに外からデットーリ騎手騎乗のイギリス牝馬ウィジャボードも迫るが、なんとか2着をキープしてゴール。ディープインパクトには2馬身離されたが、3歳馬ながら好走したことで、翌年以降に展望が開けるようなレースぶりだった。
ドリームパスポート 2006年11月26日 ジャパンC出走時 東京競馬場
しかし中団から伸びきれず、引退レースを飾ったディープインパクトからは3 3/4馬身離される4着。自身初の着外という結果に終わった。だが3着ダイワメジャーとはハナ差で、決して悲観するような結果ではなく、逆に力があることをあらためて示すことになった。
4歳(2007年)
2007年、明けて4歳になったドリームパスポートは、3度目となる安藤勝騎手とのコンビで、天皇賞(春)をにらんで阪神大賞典に参戦。1.6倍と圧倒的な1番人気に支持される。先行して早めに先頭に立つが、アイポッパーに差されてアタマ差2着と、またもや勝ちきれない姿を見せてしまう。
さらに4月に入って骨折が判明。3歳の夏休み以来初の長期休養に入ることになった。
復帰したのは、前年に2着と好走したジャパンC。引き続き安藤勝騎手とコンビを組んだが、8か月の休み明けもあり6番人気となった。
力も鉄砲実績もあるが、それまでのレースぶりを見ると気持ちで走るタイプであり、療養のためにいったん完全に緩めてしまった影響がどうなのかということが、個人的には気になった。それでも連下として押さえたが、後方のままで見せ場なく、1.5秒差14着と初めての大敗を喫してしまった。
ドリームパスポート 2007年11月25日 ジャパンC出走時 東京競馬場
ドリームパスポート 2007年12月23日 有馬記念出走時 中山競馬場
そもそもここまで16戦して騎乗した騎手は7人。レースごとに変わり、主戦騎手と呼べる存在がいなかったことは、勝ちきれないという成績に影響したのかもしれない。
また有馬記念に騎乗した高田騎手は、2007年に平地競走の騎乗はわずかに28回で、0・1・1・26と未勝利。その高田騎手を厩舎所属とはいえ有馬記念に乗せたことと、最初から最後方を追走し、4コーナー手前の勝負所で前の馬に触れてつまずき、落馬寸前の状況になったことなども、遠因になったと思われた。
5歳(2008年)
2008年になり、ドリームパスポートは新たに松岡騎手とのコンビでAJCC、京都記念、産経大阪杯、天皇賞(春)と出走するが、京都記念と産経大阪杯の4着が最高と、好走はするものの馬券圏内を外す走りを続ける。力はあるのでそれなりには走るが、以前のような気力で走る面が見られなくなっているのが不振の原因ではと、個人的には思っていた。
続く宝塚記念は蛯名騎手とのコンビで1.2秒差9着。休養を挟んだ毎日王冠は三浦騎手鞍上で3番人気に推されるが、中位から伸びず11着に終わる。
その後屈腱炎を発症し、年齢や成績もあったのだろう。引退が決まった。G1は勝てなかったが、G1 2着3回は立派な成績であり、また母の半兄にはステイゴールドがいるなど良血なので、ファンの中には種牡馬入りを望む声も大きかった。
引退後
しかしG1未勝利が災いしたのか、サンデーサイレンス系の種牡馬が多いことが理由かはわからないが、種牡馬になることはかなわず、札幌近郊の乗馬クラブに引き取られて、そこで乗馬として暮らしている。子孫が残せなかったことは残念だが、引退後は行方不明になる競走馬が少なくない中、多くの人の愛情に包まれて生きてゆけるのは、ある意味幸せと言えるのかもしれない。