ライズライズ

性別 毛色 青鹿毛
生年月日 1992年5月8日 所属 美浦・保田一隆厩舎
リアルシャダイ フォモサスキー (母父:マルゼンスキー)
戦績 14戦3勝
(3・2・2・7)
生産者 北海道三石 天賜牧場
馬主 戴天昭 騎手 原昌久、郷原洋司、的場均、水野貴広
おもな
勝ち鞍
TVKテレビ賞(900万下 1995)
    馬たちが全力で走る競馬では、ある程度事故は避けられないし、長くやっていれば悲しい出来事に合う経験も多くなる。
    個人的に一番大きなショックを受けたのは、1995年宝塚記念でのライスシャワーの転倒だった。ターフビジョンに映ったのは一瞬のことだったが、あきらかに悲劇的な結末を予測させるシーンだった。
    ネットのニュースがまだなかった当時、一縷の望みを抱いて翌朝のスポーツ新聞を開いたが、そこで目にした安楽死の文字に、涙を止めることができなかった。

    1週間を暗い気持ちで過ごした後、翌週の土曜日(6月10日)に東京競馬場の正門向いにある馬頭観音に、ライスシャワーの冥福を祈りに出かけた。
    その日はG3エプソムカップがあり、ライスシャワーの主戦だった的場騎手が乗るカネツクロスが出るので、その応援馬券を買おうと思い東京競馬場に入場した。

    当時は正門わきにDJブースがあり、リクエストを受けて曲を流したりしていたのだが、入った時にちょうど流れていたのが、松任谷由実の「ANNIVERSARY」だった。「木漏れ日がライスシャワーのように~」という歌詞があり、おそらく誰かがリクエストしたのだろう。

    入ったのはちょうど2Rの締め切り直前で、ほかに的場騎手が乗る馬か、ライスシャワーと同じ父リアルシャダイの馬でもいれば応援馬券を買おうかと思って馬柱を見ていて驚いた。
    2Rダート1600m未勝利に的場騎手が乗るライズライズという牝馬が出ていたのだ。その血統は、父リアルシャダイ、母父マルゼンスキーとライスシャワーと全く同じ。

    残念ながら締め切りに間に合わず馬券は買えなかったが、どんな馬か見ておこうとレースを見守った。前走3着ということで、この日は2.2倍の1番人気だったが、最後方から追いこむものの勝ち馬には遠く及ばず5馬身差2着。
    戻ってきたライズライズは、青鹿毛と毛色はライスシャワー(黒鹿毛)と似ているものの、比較的大柄な馬体(当日は450kgだったが大きく見えた)で白いメンコをしており、あまり似ていないなというのが第一印象だった。
    のちに的場騎手がインタビューで、美浦でライズライズの調教に乗っていると、ずいぶん似てきたと声をかけられることが多いと答えていたので、身近で見ていた人たちからは、似ていると見えたのだろう。

    その後、なんとなく気になってライズライズを追いかけてみることになる。
    中1週で福島の芝1800mに出走して5着に敗れると、7月15日の福島芝1800m未勝利戦でようやく初勝利をあげる。デビュー5戦目のことだった。
    短い夏休みを挟んで、9月10日の中山芝2000m冨里特別(500万下)に久々の的場騎手とのコンビで出走すると、後方から追いこんで3馬身差で快勝。それまでが嘘のように連勝を飾る。

    強い勝ち方をしたことで、次走は3歳(当時は4歳)牝馬3冠最終戦のエリザベス女王杯のトライアルだったクイーンS(G3 中山芝2000m)に出走する。
    7月まで未勝利だった馬が、秋のG1のトライアルに出走するというだけで夢のようだった。水野騎手を背にいつものように後方から追いこんだライズライズだったが、その年のエリザベス女王杯を勝つことになるサクラキャンドルに1 3/4馬身差の4着。エリザベス女王杯の優先出走権がとれる3着馬とはハナ差という悔しい結果だった。
    エリザベス女王杯で1着サクラキャンドルと3着フェアダンスとの着差は3 1/4馬身。単純に当てはめると、出走していれば3着だった可能性もあるわけで、見てみたかったとも思う。

    その後自己条件に戻ったライズライズは、東京芝2400mに連続出走。2戦目の11月12日のTVKテレビ賞を見事に勝って、準OP(当時1500万下。現在の3勝C)に昇格する。
    しかし骨っぽい相手にはなかなか歯が立たず、その後は凡走を繰り返す。

    ライズライズ
    TVKテレビ賞 1995年11月12日 東京競馬場
    1.7倍だったが当たったので馬券をコピーした。


    それでも1996年6月9日のジューンS(芝2400m)では、9頭立てということもあり3.0倍の1番人気。この日は安田記念があったので、東京競馬場で応援した。
    いつもと違って先行し3番手につけたライズライズだが、1000m1.03.1というスローペースでは末脚を活かせず、前の2頭を交わせずに1馬身差3着に敗れる。
    これがライズライズを生で見た最後のレースとなった。

    ライズライズ
    ジューンステークス 1996年6月9日 東京競馬場
    1番人気だったが3着に敗れた。今では懐かしい当時の馬券。


    6月29日の安達太良S(中山芝1800m)9着を最後に引退したライズライズは、生まれ故郷に帰って4頭の産駒を生む。
    そのうち2頭がデビューするが、ともに中央では勝利をあげられず地方に転厩。3番仔のライズフォモサ(父ヤマニンゼファー)が金沢で4勝をあげたが、活躍馬を出すことはできなかった。

    その後の消息はわからないが、残念ながら現在の中心となるような血統ではなく、繁殖としても厳しい状況だったろう。それでもこんな馬がいたということを覚えておきたい1頭である。