| 性別 | 牡 | 毛色 | 鹿毛 |
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| 生年月日 | 2011年4月3日 | 所属 | 美浦・和田正一郎厩舎 |
| 父 | ステイゴールド | 母 | シャドウシルエット (母父:シンボリクリスエス) |
| 戦績 | 40戦20勝 (20・2・4・14) 障害 18・2・4・8 |
生産者 | 北海道平取 坂東牧場 |
| 馬主 | チョウサン | 騎手 | 松岡正海、三浦皇成、大江原圭、山本康志、 石神深一、武豊、M.デムーロ |
| おもな 勝ち鞍 |
中山グランドジャンプ(2016,2017,2018,2019,2020,2022), 中山大障害(2016,2017,2021),東京ハイジャンプ(2016,2017), 阪神スプリングJ(2017,2019,2020),東京ジャンプS(2016) |
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JRAでは現在平地競走と障害競走が行われているが、障害は平地で勝てなかったり頭打ちになる馬が行くイメージが強く、どうしても一段下に見られやすい。実際に顕彰馬に選ばれて殿堂入りしている馬のうち、障害が主戦場だったのはわずかに中山大障害を4連覇したグランドマーチス1頭のみ。やはり平地のG1を勝ってこそ名馬なのだ。
しかし障害で求められる能力は平地とは異なるし、障害ファンも意外に多く、障害で活躍したことで有名になる馬もいる。
オジュウチョウサンはそんな障害界のスターの1頭だろう。さらに平地の最高峰レースの1つ有馬記念を本気で目指したことで、大いに話題にもなり、障害レースの地位向上に貢献したと言える。
オジュウチョウサンといえば、その名前のユニークさが印象的だ。「チョウサン」はオーナーの長山尚義氏のあだ名から取ったと聞いたことがあるが、ずばりチョウサンという馬を所有していて、2007年の毎日王冠を勝ったことを覚えている。
その後「チョウサン」を冠号に用いるようになり、名義も株式会社チョウサンとなった。
2歳~3歳(2013年~2014年)
オジュウチョウサンがデビューしたのは2013年10月19日の東京芝1800m新馬戦。15頭立ての12番人気で後方のまま0.8秒差11着に敗れる。さらに1か月後の芝2000m未勝利戦も後方から少し伸びるも1.8秒差8着。
平地競走はこの2戦であきらめたようで、障害練習をして、ちょうど1年後となる2014年11月15日に福島の未勝利で障害デビューを飾るが、14頭立ての14着と大敗。
このあと小笠倫弘厩舎から和田正一郎厩舎に転厩している。
4歳(2015年)
年が変わると、いきなり未勝利戦で2着と好走。そして2月21日に障害4戦目で初勝利をあげると、続けてOPも連勝する。しかし、のちに名コンビとなる石神騎手の初騎乗で重賞初挑戦となった東京ジャンプSは4着で、初めて挑戦した中山大障害も後方から追い上げるものの、4.3秒差と大きく離れた6着まで。
この年は9戦走ってタフなところは見せたが3勝に終わり、まだ才能開花までは時間が必要だった。
5歳(2016年)
初戦の中山OPで2着になると、中山GJに挑戦する。中山では勝利こそないものの、4戦して2着2回と比較的得意でもあり、また前走は1 1/2馬身差の2着で3着馬は9馬身離したこともあって、6.5倍の2番人気に支持された。
それまでは比較的後方から進めることが多かったが、このレースで石神騎手は初めて先行策を取る。安定した飛越を見せるオジュウチョウサンは、逃げる1番人気サナシオンをやや離れた3番手で追う。
最終周回の3コーナーから追い上げると、最後の直線はサナシオンを追って懸命に差を詰める。ゴール直前で一気に伸びてサナシオンをかわすと、最後は3 1/2馬身突き抜けて1着。見事に初重賞制覇をJ・G1で成し遂げた。これは和田正師、石神騎手にとっても初のJ・G1勝利だった。
障害最長距離の4250m(2025年以降は4260mが最長)を走りながら、最後に見せた伸び脚は余裕があり、父ステイゴールドから引き継いだスタミナを存分に発揮した結果と思われ、障害界のニュースター誕生を予感させる勝ち方だった。
次走の東京ジャンプSを2.0倍の1番人気に応えて勝つと、秋初戦の東京ハイJも1着。ともに別定でただ1頭62kgを背負っていたが、余裕の勝利で力の違いを見せつけた。
そして年末の中山大障害に出走する。ここには1年前に4.3秒差をつけられたアップトゥデイトが、連覇を狙って出走してきていた。オジュウチョウサンは1.4倍の圧倒的な1番人気で、アップトゥデイトは3.2倍の2番人気。3番人気以降は10倍以上と2強対決となった。
好スタートを切ったオジュウチョウサンは、2番手を走るアップトゥデイトからやや離れた3番手を追走。安定した飛越と石神騎手の効率的なコース取りで、余裕を持った堂々とした走りを見せる。
最終周回の3コーナーでアップトゥデイトが先頭に立つと、オジュウチョウサンもすかさず並びかけ、2頭で並んで最終コーナーを回ると、後続は突き放してマッチレースの様相。しかし直線はオジュウチョウサンがぐんぐんと突き放し、最後はムチも入れずに9馬身差の圧勝となった。
個人的にJ・G1の2レースは好きで毎年欠かさず見ているが、これだけの強い勝ち方はあまり記憶になく、この年のベストレースでジャパンCに次ぐ次点にあげたほどだった。
これで2016年はJ・G1 2勝を含む重賞4戦全勝で、JRA賞最優秀障害馬を受賞した。
特にJ・G1の2戦で見せた最後の伸びは、長距離を走りかつ高い障害を何度も飛び越えてきたあととは思えない余裕のあるもので、障害におけるオジュウチョウサンの天下はしばらく続くことを予感させた。
6歳(2017年)
この年もオジュウチョウサンの快進撃は続く。初戦の阪神スプリングJを1.3倍の人気に応えてアップトゥデイトに2 1/2馬身差をつけて快勝すると、中山GJに出走。
前年の中山大障害と同じように好位追走から最終コーナーで先頭に立つと、直線は余裕の脚色で後続を突き放し、3 1/2馬身差で中山GJ連覇およびJ・G1 3連勝を危なげなく達成した。
秋になって東京ハイJを大差となる2.0秒差で圧勝して連覇すると、中山大障害では障害レースではほぼ見ることのない1.1倍の圧倒的な人気となる。
しかしここで立ちふさがったのが、2015年にJ・G1をともに制して最優秀障害馬になったものの、その後はオジュウチョウサンの前に苦杯をなめ続けたアップトゥデイトだった。
オジュウチョウサン以外で唯一単勝1桁となる6.8倍の2番人気に支持されたアップトゥデイトは、真っ白な馬体を躍動させて最初の直線で先頭に立つと、後続を引き離して大逃げを打つ。その差はみるみる離れて、最初の大竹柵では3~4秒、さらに半周回って赤レンガを飛ぶころには4~5秒差に。
さすがに石神騎手もまずいと思ったのか、2番手のオジュウチョウサンは向こう正面から徐々にアップトゥデイトとの差を詰めていくが、珍しく飛越が乱れ、また場内がどよめく。そして最後の坂を下って上るころから石神騎手の手が激しく動いて、みるみるアップトゥデイトとオジュウチョウサンの差が詰まっていき3馬身差で直線へ。
直線は懸命に逃げ込みを図るアップトゥデイトにじりじりとオジュウチョウサンが迫り、障害レースでは珍しい壮絶なたたきあい。3番手以下は大きく離れたマッチレースとなったが、ゴール直前で一気にオジュウチョウサンがアップトゥデイトを交わして1/2馬身差をつけて1着でゴール。見事に8連勝でJ・G1 4連勝を果たした。
大逃げを見る石神騎手の心中は穏やかではなかったと思うが、慌てず馬を信じて前を追っていき、最後に差し切るという見事な騎乗だった。
これでオジュウチョウサンは障害重賞8勝となり、コウエイトライと並ぶ1位タイ。また重賞8連勝はテイエムオペラオーと並んでこちらも1位タイ。J・G1 4連勝は史上初(グレード制導入前はフジノオー、グランドマーチスが中山大障害春・秋4連勝をしている)で、中山大障害(1998年までは秋が対象)2連覇はフジノオー、グランドマーチス、キングジョイという障害の名馬と並んで2位タイ(1位は3連覇のバローネターフ)となった。
またアップトゥデイトが飛ばしたこともあり、勝ちタイムは1991年のシンボリモントルーの記録を1.1秒も上回る4.36.1のレコード。まさに記録にも記憶にも残る、すばらしいレースだった。
2017年もJ・G1 2勝を含む障害重賞4戦4勝と完ぺきな成績を残し、文句なしでJRA賞最優秀障害馬に2年連続で選ばれた。そして年度代表馬の投票でもオジュウチョウサンに3票が入り、障害馬の枠を超えた存在になっていったのである。
7歳(2018年)
この年の初戦は中山GJとなった。約3か月半の休み明けとなったオジュウチョウサンは前走よりやや落ちる1.5倍の1番人気。対するアップトゥデイトは前月の阪神ジャンプSを8馬身差で逃げ切って叩き2戦目ということで、2.3倍の2番人気。逆転の目があると見たファンが多かったことが伺える。
最初の直線で先頭に立ったアップトゥデイトだが、オジュウチョウサンやマイネルクロップなど常に2,3頭に絡まれる苦しい展開。そのためか最終コーナー手前で林騎手の手が激しく動くアップトゥデイトに対して、石神騎手の手は微動だにしないまま馬なりでオジュウチョウサンが先頭に立つ。
直線はまたもやオジュウチョウサンがアップトゥデイトを突き放す一方となり、2.4秒の大差をつける圧勝で終わった。勝ちタイムは2015年のアップトゥデイトのレコードを3.6秒更新する4.43.0。
これで中山GJ 3連覇(オーストラリアのカラジ以来の2頭目)となっただけでなく、J・G1 5連勝、重賞9連勝と、いずれもJRA新記録となり、まさに記録ずくめの勝利となった。
そしてこの後、すでに障害界に敵がいないオジュウチョウサンを、有馬記念に挑戦させるという驚くべきプランが発表される。力をつけた今なら、平地のG1でも勝負になるのではというオーナーの想いがあったのだろう。
しかし障害でいくら勝利をあげても平地では未勝利のため、500万下(現1勝クラス)から始めて賞金を積み重ねていく必要がある。
その初戦は7月7日福島芝2600m開成山特別となった。障害で培ったスタミナを生かす意味で長距離戦が良いという判断があったのだろう。
この出走は話題になり、当日の入場人員は前年同日比138.3%の1万4247人で、開成山特別の売り上げも前年比195.6%の11億4320万1100円。またオジュウチョウサンのグッズ売り場には最大500人以上の列ができ、最長1時間待ちとなった。
平地での主戦は武豊騎手となり、これが一層の注目を集めて盛り上げに一役買った。
4年半ぶりの平地レースで、オジュウチョウサンは好位追走から4コーナーでは早くも先頭に立つと、あとは後続を離す一方で3馬身差の勝利を危なげなく飾った。
レース後にオーナーからは、今後障害レースへの出走は一切考えていないという発言があり、どこまでJ・G1連勝を伸ばすか見てみたかったという意味では大変残念に思ったが、それだけ有馬記念制覇に向けて本気だという心意気も感じられた。
しかし過去に障害で活躍した馬が平地のレースでどのような成績を残したかを調べてみると、かなり厳しいことは事実だった(詳しくは→「J・G1馬の平場での実力とは ~オジュウチョウサンの将来性は」)。ただオジュウチョウサンは障害馬として卓越した力の持ち主であり、そのチャレンジは、とてもおもしろい試みであると思った。
次走は1000万下(現2勝クラス)の南武特別(東京芝2400m)に出走。3番人気だったが先行して1/2馬身差で勝つ。
そしてファン投票で10万382票を得て3位となったことで、見事に目標であった有馬記念に出走することになった。
当日は9.2倍の5番人気と予想以上の高い人気となる。
レースでは逃げるキセキの2番手からレースを進め、直線でも粘りを見せたものの、最後は外から各馬に一気に交わされ、勝ったブラストワンピースからは0.8秒差の9着に終わった。
J・G1での力強い勝ち方、有馬記念に実績のある父ステイゴールド、母父シンボリクリスエスという血統、さらに中山に向いた先行脚質ということを考えると、奇跡を起こすのではという期待もあったが、やはり現実は甘くなかった。
レースを見て感じたのは、障害と平地競走のペースと、求められる能力の違いだった。障害は距離が長く、また飛越の前にスピードを落とすために、平地競走に比べると流れがスローになる。そのためスピードを持続させる平地競走は、障害馬にとっては、かなり厳しいのではないだろうか。また障害は体力比べになり、最後は力を振り絞ってゴールする感じだが、平地では道中は体力を温存し、最後に末脚比べで相手よりも少しでも前に出ることを目指すという違いもある。
有馬記念でも直線半ばまでオジュウチョウサンは頑張ったが、その末脚の違いは明らかで、オジュウチョウサンの上りは36.9。これは16頭のうち下から3番目の遅いタイムだった。
2018年オジュウチョウサンの障害出走は中山GJの1戦のみだったが、その勝ち方があまりに強かったため、3年連続となる最優秀障害馬に選ばれた。
8歳(2019年)
平地に適切なレースがないということで、久々の障害に復帰して、初戦の阪神スプリングJは唯一62kgを背負うものの2 1/2馬身差で快勝。続いて4連覇を目指して中山GJに出走してきた。前日発売では、一時オジュウチョウサンの単勝が1.0倍で、他の10頭は全馬万馬券という驚くべきオッズになったが、前年の中山大障害1~5着馬が参戦した中でのその評価は、あらためてオジュウチョウサンの強さを印象付けるものだった。
オジュウチョウサンの4連覇はかなり固い印象だったが、当然他の馬の騎手たちが勝負をあきらめるわけはなく、なんとかして負かそうと挑んできた結果、かなり見ごたえのあるレースとなった。
いつものように先行して2番手を走るオジュウチョウサンに、前年の中山大障害の覇者で2番人気のニホンピロバロンがつねに内外からプレッシャーをかけ続ける。さらに最終周回の向こう正面からは6番人気のシンキングダンサーが並びかけてきて、並んだまま直線へ。
最後の障害を飛んでオジュウチョウサンが先頭に立ち、いつもならここからぐんぐん引き離していくのだが、道中でプレッシャーをかけられ続けたダメージからか、いつもの伸びが見られない。
しかし先頭は譲らず、最後はシンキングダンサーに2 1/2馬身差をつけて、史上初の同一重賞4連覇を飾った。
これで中山大障害2勝と合わせて、大障害コースは6勝。5勝で並んでいたバローネターフを抜いて単独首位となった。また障害重賞は11連勝となり、これも自身の記録を更新する新記録となった。
次走以降は平地に戻って、宝塚記念に出るという話もあったが、結局準OPからステイヤーズSをめざすことになった。
ところが半年の休み明けで出走した六社S(3勝C 東京芝2400m)は、久しぶりの平地騎乗となった石神騎手鞍上で1番人気に支持されたものの10着。
さらにアルゼンチン共和国杯は逃げて12着、ステイヤーズSは先行するも6着と、平地では残念ながら結果が出せずに終わった。
この年は中山GJを制したものの、中山大障害を勝ったシングンマイケルが障害重賞3勝ということで最優秀障害馬に選ばれ、4年連続の受賞とはならなかった。
9歳(2020年)
この年は障害に専念することになり、初戦は前年と同じ阪神スプリングJに参戦。前年の最優秀障害馬シングンマイケルを9馬身突き放す快勝で、いまだ障害のトップホースであることを見せつけた。そして同一重賞5連覇を目指して中山GJに出走する。前年に続く1.1倍という圧倒的なオッズで、ファンは5連覇を確実視していた。
しかしこの日朝から降り続いた雨により不良馬場となる。重馬場得意のステイゴールド産駒らしく重でも勝っているが、9歳馬で初めての不良となると体力面での心配もある。ところがそんな心配も杞憂に終わった。
2番手から進めたオジュウチョウサンは、周りをライバルたちに囲まれ、さらに飛越の際には珍しくバランスを崩すシーンもあった。しかし最終周回の向こう正面で先頭に立つと、さすがに最後の伸びはいつものようにはいかなかったが、最後まで先頭を譲らず、メイショウダッサイ(3番人気)に3馬身差をつけて5連覇のゴールに飛び込んだ。
その勝ちタイムは5.02.9。2年前の4.43.0に比べるとほぼ20秒も遅く、いかに厳しいレースだったかがわかる。
これでオジュウチョウサンは障害レース13連勝でJ・G1は7連勝。すでに歴史に残る名馬になっていたが、まだまだ連勝を伸ばせそうで、どこまでいけるか楽しみが続いた。
ところが7か月の休み明けで出走した京都ジャンプSでは1.1倍の1番人気だったにもかかわらず、最後の直線で2番手から伸び一息。逃げ馬を捉えられず、ゴール直前で後ろの馬にも差されて1 1/2馬身差3着と敗れてしまう。
4年8か月ぶりの障害レースでの負けとなり、さすがに年齢的に厳しいのではという声も聞こえるようになってきた。さらにこのレースで怪我をしたために中山大障害は回避となり、結局この年は3戦のみで2勝3着1回。
立派な成績ではあるが、最優秀障害馬は中山大障害を勝ったメイショウダッサイが獲得し、オジュウチョウサンは2年連続でタイトルを逃すことになった。
10歳(2021年)
初戦は5か月ぶりの休み明けで、6連覇を狙う中山GJとなった。しかし久々に加えて前走のオジュウチョウサンらしくない負け方もあり、僅差ではあるが前年の最優秀障害馬メイショウダッサイに続く2番人気となった。障害で1番人気でなかったのは、本格化前の2016年の中山GJ以来5年ぶりのことだった。
レースではいつもどおり先行するが、めずらしく行きたがるそぶりを見せ、石神騎手が抑えながら進む。そのせいか最終周回の向こう正面で、早くも手ごたえが悪くなりずるずると後退。直線も伸びず、勝ったメイショウダッサイから2.5秒差の5着と、障害レースでは2015年の中山大障害以来5年4か月ぶりの着外に終わった。
しかし次走6か月ぶりの東京ハイJでも、ファンは見捨てず2.1倍の1番人気。それに応えて勝てないまでも先行して2馬身差3着と、僅差の勝負に持ち込んだ。
そして暮れの中山大障害に出走する。ここまで障害レースで3戦連続負けていたが、3.3倍の2番人気とファンの期待は依然高かった。
今回は行きたがることもなく、いつもどおり先行して安定した飛越を見せる。最終周回の向こう正面で促して前に行くと、最終障害を越えて先頭に立つ。10番人気のブラゾンダムールが追ってくるが、直線は先頭に立って突き放し、最後は3馬身差1着でゴール。また強いオジュウチョウサンが戻ってきた。
中山大障害への出走は4年ぶりだったが見事に3勝目を飾り鮮やかに復活。大障害コースでの強さを改めて感じさせる勝利だった。
そして最優秀障害馬は中山GJを勝ったメイショウダッサイとの一騎打ちだったが、復活劇が印象的ということもあったのだろう。3年ぶり4回目の獲得となった。
11歳(2022年)
初戦の阪神スプリングJは1.7倍の圧倒的1番人気に支持されたが、先行しながら前を捉えられず、さらに後ろから差されて3着に終わった。さすがに年齢的に厳しいのではという声が、ますます大きくなっていった。それでも6勝目を狙って出走した中山GJで、オジュウチョウサンは2.1倍の1番人気となる。
スタートは今一つだったが最初の直線で先団まで押し上げると、あとは安定した飛越で先団をキープ。最終コーナーでめずらしくムチが入るが、最終障害で前年の中山大障害で好勝負を演じたブラゾンダムールに並びかけると、飛越後は並んでマッチレースに。
相手も粘ったが最後はゴール前でオジュウチョウサンが突き放し1 1/4馬身差で1着となった。
これで中山GJは6勝目で、中山大障害の3勝とあわせてJ・G1は9勝目となり、G1の勝利数ではアーモンドアイの芝G1勝利と並んだ。また11歳での重賞制覇はJRAの所属馬では初の記録となった(それまでの最高齢はアサカディフィートの10歳[2008年 小倉大賞典]。また地方競馬ではオースミダイナーの13歳が最高齢)。
しかしこの勝利が、オジュウチョウサンの最後の輝きだった。
6か月の休み明けで出走した東京ハイJは2番人気ながら7.5秒差9着。2.4倍の1番人気となった中山大障害は好位を追走するも、大生垣障害の飛越後から手ごたえが悪くなり後退。ニシノデイジーから2.3秒差の6着に終わった。
レース後に引退式が行われて登録抹消となった。
この年は1勝に終わったが、ニシノデイジーとの最優秀障害馬の争いは138票対137票の1票差でオジュウチョウサンに軍配が上り、5回目の受賞となった。
競走馬としての総括
5歳から11歳までJ・G1を9勝。ほかにジャンプ重賞を6勝し、最優秀障害馬に選ばれること5回と、障害界では圧倒的な実績を誇る馬となった。その大きな要因としては、11歳まで息の長い活躍をすることができたということがあると思う。これは生涯50戦して、7歳の引退レースで初G1制覇を果たした父ステイゴールドから引き継いだ特性だったのかもしれない。
そしてなんといっても特筆すべきは、障害レースを32戦走って落馬0というその飛越の安定感だろう。石神騎手の効率的なコース取りとレース運びによって、疲労を最低限に抑えたということもあるが、最後の伸びを生むスタミナも、その安定感に貢献したと思う。
特に中山の大障害コースへの適性は、12戦9勝というハイアベレージに表れている。何度も坂を上り下りして、難度の高い障害を飛ぶ大障害コースは、真の力がないと勝てないので、その意味でも障害馬として力が卓越していたと言えるだろう。
また有馬記念をはじめとして平地の重賞に挑戦したことは話題になったし、障害レースへの注目を集めるという意味でも大きな貢献をしたと思う。これによって障害レースの底上げにもつながるのではないだろうか。
種牡馬として
引退後はYogiboヴェルサイユリゾートファームで種牡馬生活を送っている。初年度の2023年度は種付料100万円で8頭に種付けして4頭が誕生と、決して数は多くはないがその血を次世代につなげている。順調に行けば2026年から産駒が走り始めることになる。オジュウチョウサンの全兄弟になるケイキチョウサンはラジオNIKKEI賞を勝っており、コウキチョウサンは7勝をあげて目黒記念で差のない8着に入るなど活躍馬もいて、血統的には決して悪くない。
産駒がどんな走りを見せるのか楽しみである。
2025年9月に馬産地を訪れた際に、Yogiboヴェルサイユリゾートファームでオジュウチョウサンに会っている。多くの馬が繋養されている中で、見学受付も兼ねたグッズショップの隣というベストポジションで放牧されており、人気があることがわかる。
カフェの建物を挟んだ放牧地には多くの牝馬がいるのだが、現役の種牡馬だけあって、その鳴き声に反応して走り回ったり鳴いたりしており、元気いっぱいな様子だった。
種牡馬としてはちょっと厳しいかもしれないが、幸い知名度は高く人気もあるので、グッズ等の売り上げで牧場に貢献することで、自らの食い扶持を稼いでいけたらと思うし、それは十分可能だろう。

オジュウチョウサン 2025年9月27日 Yogiboヴェルサイユリゾートファーム
