カゼノオー

性別 毛色 鹿毛
生年月日 1994年3月26日 所属 美浦・畠山重則厩舎
ヘクタープロテクター グロウペガサス (母父:ブレイヴェストローマン)
戦績 12戦3勝
(3・3・0・6)
生産者 北海道浦河 荻伏牧場
馬主 赤松綾子 騎手 田中勝春、岡部幸雄、菅原隆明
おもな
勝ち鞍
500万下(1998)、マルチロマン特別(浦和 1998)
    JRAのCMにはいくつか印象的なものがある。2000年に流れていた「最後の10完歩」は、小田和正の「Woh Woh」にあわせて、人々が競馬を楽しむいくつかのイメージカットの合間に、武豊騎手の騎乗シーンがスローモーションで入るのだが、その美しさとあわせてとても感動的だった。
    そのメイキング映像もあったのだが、「Woh Woh」がフルコーラスで流れる中、中山競馬場で黒い幕をバックに、何度も馬を走らせる武豊騎手の姿が記録されており、途中からロングバージョンのCMになるという、映像作品としても楽しめるものだった。
    以前はYouTubeでも見ることができたのだが、権利の関係で落とされたのか、最近は見られないのが残念である。

    他にもレミオロメンの「茜雲」が流れるCMや、一青窈の曲を使った一連のCMもよかったが、個人的に好きだったのが「風の牧場ニュース」のシリーズだった。いくつかYouTubeでも見られるが、それを見ると1994年から95年に流れていたらしい。
    1頭の馬の誕生から離乳、馴致から調教と、競走馬として育っていく過程を、続き物語のようにCMでつづっていく内容だった。バックには友部正人の「朝は詩人」という曲が流れ、「風の牧場のニュースです。」で始まる素朴なニュース風のナレーションがついて、一見穏やかでのんびりした雰囲気なのだが、競走馬になるためのシビアさと、それを支える人々の温かさが感じられて、とてもよいCMだった。


    制作は1頭の馬を追い続けるので、かなり大変だったようだ。まず誕生シーンを撮るために、予定日が近い馬の情報を得て撮影スタッフ一同牧場に行ったが、なかなか生まれず、近くの牧場で生まれそうだという情報を得て、あわてて移動してなんとか撮影できたという。

    CMの舞台は架空の「風の牧場」となっていて、生まれた仔馬は「風の王」と呼ばれる。誕生からの成長が映像として残っているという意味では、ある意味唯一無二の存在といえるかもしれない。

    そしてその馬がついにデビューすることになり、競走名も「カゼノオー」と名付けられた。あのCMの馬が競走馬になるということで、とても話題になったし、名前もそのままだったのでファンも多かった。

    3歳(1996年)

    初出走は、2歳(当時3歳)時の秋も深まった1996年11月30日の中山芝1600m新馬戦。田中勝騎手鞍上で10頭立て4番人気だった。
    当時、有馬記念の指定席を取るためには、年末の中山開催の指定席に入って抽選を行い、そこで当選する必要があった。そのため毎週土・日は、朝暗いうちに車で中山競馬場に行って指定席に入るということを、当選するまで繰り返していた。
    この日は第6回中山開催初日ということで中山競馬場に行っており、応援馬券を買って見守った。ここでカゼノオーは先行してクビ差2着と好走する。勝てなかったが、将来に期待が持てる結果だった。

    カゼノオー
    新馬 1996年11月30日 中山競馬場
    偶然デビュー戦を見ることができ、記念馬券を購入した。


    折り返しの新馬戦は有馬記念当日で、幸い指定席が取れて現地で応援したが4着に敗れた。

    カゼノオー
    新馬 1996年12月22日 中山競馬場
    有馬記念当日に折り返しの新馬に出走。今では懐かしい当時の馬券。裏に磁気で記録されていた。

    4歳(1997年)

    そして3戦目となる1997年1月15日の中山ダート1200m未勝利戦。初のダート戦だったが、岡部騎手騎乗もあり1番人気に支持される。先行したカゼノオーは、後続馬の追い上げをクビ差しのいで初勝利をあげた。
    この日、CMの撮影スタッフは競馬場に集まって見守ったそうだが、初勝利を見届けてみんなでゴール前で大喜びしたらしい。生まれた時から見てきているので、馬主や調教師よりも、ある意味思い入れは強いだろうから、その気持ちはわかる気がする。

    2月に中山ダート1200m(500万下)で2着に敗れると、陣営はクラシックがあきらめられなかったのか、3月9日の中山芝2000m水仙賞(500万下)で再度芝に挑戦する。岡部騎手騎乗で3番人気に支持されるが、先行しながら直線はずるずると下がり2.6秒差15着と大敗。以後はダートに専念することになる。

    5歳(1998年)

    約1年休み、復帰2戦目となる1998年4月11日の中山ダート1200mで2勝目をあげるが、その後は900万下クラスの壁にあたったのか、凡走を繰り返す。
    7月に浦和に遠征してダート1400mで勝つが、これが最後の勝利となった。
    8月9日の岩室特別6着のあと故障で1年ほど休養していたらしいが、このレースを最後に登録抹消。その後の消息は分からない。

    カゼノオーの母グロウペガサスは、桜花賞やエリザベス女王杯を勝ったハギノトップレディ、宝塚記念を勝ったハギノカムイオーを兄姉に持つ良血で、その血統背景からはカゼノオーも活躍しても決しておかしくはない。
    しかし中央で勝ち上がれるのは10頭に3頭と言われる中で、たまたま撮影のタイミングに生まれたということでCMの主人公に抜擢された馬が、活躍できる確率は高くないと思う。それでも中央で2勝、地方で1勝をあげたカゼノオーは、立派にその役割を果たしたと言えるのではないだろうか。

    引退後は、馬事公苑で繋養されたといううわさもあるようだが、願わくは幸せな暮らしを送ってくれていればと思う。