性別 | 牡 | 毛色 | 黒鹿毛 |
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生年月日 | 1998年5月3日 | 所属 | 栗東・大根田裕厩舎 |
父 | ウォーニング | 母 | オオシマルチア (母父:クリスタルグリッターズ) |
戦績 | 36戦9勝 (9・4・7・16) |
生産者 | 浦河 大島牧場 |
馬主 | 清水貞光 | 騎手 | 小池隆生、熊沢重文、芹沢純一、河内洋、武幸四郎、 大西直宏、村田一誠 |
おもな 勝ち鞍 |
スプリンターズS(2004),アイビスSD(2002,2004) |
- 競走馬を語る際にスピードはとても大きな要素である。そして単純に最も速い馬といえば、短距離を一番速いタイムで走った馬というのが一番わかりやすいし、人間でいえば陸上100mの世界記録保持者ということになるだろう。海外には400mなどの短いレースがあるそうだが、日本では芝1000mとなる。そしてそのJRAレコードを持っているのがカルストンライトオである。
2002年アイビスサマーダッシュで記録した53.7は、その後20年以上たっても破られていない大記録だ。そして4ハロン目に記録した9.6というラップは、時速75kmに相当するということで、通常サラブレッドは短距離戦でも時速65~70kmで走っていることを考えれば、卓越したスピードの持ち主だったと言えるだろう。
3歳[旧年齢](2000年)
カルストンライトオの名前を初めて意識したのは、2000年の朝日杯3歳S(現朝日杯FS)だった。本当は最後は「オー」や「オウ」にしたかったのだろうが、馬名が9文字に制限されていることから「オ」とせざるを得ず、どうしても寸詰まりな印象を受けた。京都芝1200mで新馬、500万下(現1勝C)と連勝しての参戦だった。ともに大きな差をつけて逃げ切っており、スピードがあることは間違いないが、マイル戦では逆にそのスピードが命取りになることが多い。スタミナがゴールまで持たないのだ。
それもあって、無敗にもかかわらず26.5倍の8番人気という評価。個人的にも前半3ハロンの速いペースが、最後の中山の坂でこたえるだろうと無印だった。
外の15番という、中山マイルでは不利な枠からスタートしたカルストンライトオ。小池騎手は押してハナを取りに行き、道中は懸命に抑えるが1000m58.4のハイペース。それでも残り100mぐらいまでは先頭で粘ったが、最後は失速して1.2秒差10着に終わった。
着順着差はともかく、直線まで粘ったレースぶりはただの短距離馬ではない印象を与えたが、その才能開花まではしばらく時間が必要だった。
3歳[新年齢](2001年)
3歳初戦はダートに挑戦する。ここからしばらくは熊沢騎手が主戦となるが、1番人気にもかかわらず10着と大敗。やはり適性は芝ということで、以後は芝短距離に専念する。5月に京都芝1200m葵SでOP初勝利を飾ると、当時6月に行われていたファルコンS(中京芝1200m)で重賞初挑戦。1番人気に支持され、ハイペースで逃げて3/4馬身差3着と好走。重賞制覇もすぐと思われた。
ところがその日はなかなか訪れなかった。
夏も走り続け、北九州短距離SでOP2勝目をあげる。その後に出走したアイビスSD(新潟芝1000m)、セントウルS(阪神芝1200m)でともに1番人気になるも、アイビスSDはハイペースで逃げ、セントウルSは2番手追走でともに3着。
その後も好走するが勝利には手が届かず、結局3歳時は11戦してOP2勝のみで2・2・3・4。重賞は0・0・3・1と勝ちきれないまま終わった。
4歳(2002年)
前半は休養して6か月ぶりに復帰したが、2019年まであった降級制度により1600万下(現3勝C)に降級となる。しかし福島芝1200mのハンデ戦で58kgを背負いながら逃げ切り、すぐにオープンCに復帰した。このレースで初めて大西騎手とコンビを組み、この後しばしば大西騎手が乗ることになる。その後2戦はOPに出走して勝てなかったが、久々の重賞挑戦で第2回アイビスSDに出走する。13頭立て12番と好枠を引いたこともあり、2.6倍の2番人気となった。
大西騎手鞍上で好スタートを切ったカルストンライトオは、テンのスピードを生かして外ラチ沿いに進路を取り勢いよく逃げる。他馬が懸命に押す中、ほぼ馬なりで差を広げていくと、最後までそのスピードは衰えない。ゴール前で1番人気のブレイクタイムが詰め寄るが、2馬身差をつけて逃げ切り、初重賞制覇を決めた。
勝ちタイム53.7はその後も破られていないレコードタイムで、道中2度も1ハロン9秒台をマークするなど、一流のスピード馬としての実力をようやく発揮できたレースだった。
しかし次走のセントウルS(阪神芝1200m)は逃げて4馬身差3着。さらに1400mに伸びたスワンSは逃げられず13着に大敗と、結局この年は尻すぼみに終わった。
5歳(2003年)
コズミで態勢が整わず、復帰は9月中旬とほぼ11か月休養をとることになった。復帰戦のセントウルSは武幸騎手で12着と大敗したが、次走は2歳時以来となるG1に挑戦。スプリンターズSに村田騎手鞍上で出走する。休み明け2戦目は得意とはいえ、前走は1.6秒差のブービーとふがいない負け方で、さらにビリーヴやテンシノキセキと強い先行馬もいることから、展開的にも厳しいと思われ、11番人気と大きく評価を落としていた。
テンシノキセキが1番枠からハイペースで逃げる展開となり、カルストンライトオは3番手で追うも4コーナーで手応えが怪しくなる。直線は馬群に沈み、後方から一気の追い込みを決めて勝ったデュランダルからは、1.6秒差13着に終わった。
その後、京都芝1200mOPアンドロメダSで不良を利して逃げ切り、久々の勝利をあげる。しかしこの年3戦出走した重賞はすべて2桁着順と、不本意な成績の1年となった。
6歳(2004年)
春シーズンを見送り、夏の福島のOPバーデンバーデンC(芝1200m)で6か月ぶりに復帰。途中からハナを奪うと最後まで粘り、クビ差2着と好走する。さらに芹沢騎手鞍上で参戦した函館スプリントで逃げて、シーイズトウショウの0.3秒差3着と好走。勝てなかったものの重賞では約2年ぶりの3着内を確保した。
そして2年ぶりの重賞制覇を目指して、再び大西騎手とのコンビでアイビスSDに出走する。近走の好走を評価されて2.2倍の1番人気となった。
5番と決して有利ではない内枠からスタートしたカルストンライトオだが、テンの速さを活かして一気に外へと進路を取り、最初の1ハロンまでに外ラチ沿いでハナを確保。スピードに乗ると、2年前のレースを再現するように他馬を突き放していく。
そのままスピードが衰えることはなく、3馬身差で逃げ切ってアイビスSDそして重賞2勝目を飾った。上りは逃げながらメンバー1位の31.9で、勝ちタイムも2年前のレコードに0.2秒差の53.9と優秀なもの。スピードをいかんなく発揮しての鮮やかな復活となった。
その勢いのまま、1年前に13着と大敗したG1スプリンターズSに挑戦する。
しかしそのスピード能力は認めても、1000mのG3 2勝馬で1200mの重賞は3着まで。スプリントG1馬のサニングデールやデュランダル、重賞で安定しているシーイズトウショウなどにはどうしても見劣る成績ということで、8.5倍の5番人気という評価だった。
個人的にも調教はそれほど良く見えず、パドックでは落ち着いて悪くはないが、先行馬が多く流れが速くなりそうということもあって、連下までと見ていた。
折からの雨で不良馬場となった中、5番枠から好スタートを切ったカルストンライトオを、大西騎手はじんわりと押しながらハナに誘導する。せりかける馬もなくマイペースで運ぶと、4コーナー手前で早めに追い出し、直線に入ると一気に4馬身ほど抜け出す。そのまま差を広げていき、残り200mでは6,7馬身差をつけてセーフティリード。最後は外からデュランダルが追いこんでくるが、4馬身差をつける完勝だった。
逃げながらも上りはデュランダルに次ぐ2番の36.3。前年に不良のアンドロメダSを逃げ切っており、道悪適性も高かったのだろう。馬場に恵まれた面があったとはいえ、力がないとできない芸当でもあり、遅咲きのG1ホースではあるが見事な勝ちっぷりだった。
ちなみにこの年、マリナーズのイチロー選手がちょうど同じ日にメジャーリーグのシーズン最多安打記録262本を達成したが、その背番号と同じ5-1で決まったことが話題となった。
次走は香港スプリント(シャティン 芝直線1000m)に遠征する。
内枠から出たカルストンライトオを大西騎手は押すが、いつものようにハナに行くことができない。それでも前半は先団で粘るが、500mを過ぎてからずるずると後退し、3.3秒差の最下位14着に終わった。
おそらく慣れない環境に加えて、アイビスSD勝利と不良のスプリンターズSで逃げ切ったダメージが残っていたのではないかと、いつもらしくないレースを見て感じた。
7歳(2005年)
7歳になっても現役を続けたカルストンライトオは、この年の初戦として阪急杯(阪神芝1200m)に59kgを背負って参戦。ハイペースで逃げて粘るがアタマ差2着と惜敗。古豪健在をアピールし、G1高松宮記念に臨む。
左回りに良績がないという不安もあったが、近走香港以外は安定して走っていることもあり、7.1倍の3番人気という高い評価を得た。
好スタートを切ったカルストンライトオを大西騎手は押してハナを取りに行く。内を大きく空けて走ると、4コーナーでは内から2頭にかわされる。脚色悪くなるが、それでも直線は粘り、いったんは3番手に上がるも、最後はアドマイヤマックスに突き放されて3 1/4馬身差4着に終わった。
続いて連覇および3勝目を目指してアイビスSDに参戦。59kgを背負い最内1番と不利な条件でありながら、コース実績が評価されて1.8倍の圧倒的1番人気となった。
好スタートを切ると一気に外に持っていくが、7番枠のテイエムチュラサンがハナに行き、その内の2番手を追走する。懸命に追うが斤量もこたえたのか500m過ぎあたりから手応えが悪くなり、最後は3 1/2馬身差4着に敗れた。
そして連覇を目指してスプリンターズSに駒を進める。
この年は3戦とも掲示板を確保していたが、得意のアイビスSDで逃げられずに4着に敗れた姿からは衰えを感じさせることもあり、26.3倍の8番人気と大きく人気を落とすことになった。
この年の1番人気は、香港スプリントで圧勝した香港の雄サイレントウィットネス。デビューから17連勝を飾り、距離が長い安田記念でもアタマ差3着に入るなど、その能力は素晴らしいものがあった。
好スタートから押してハナに立ったカルストンライトオは、いつものように軽快に逃げていく。4コーナーで突き放し、3馬身差で直線に入るが、前年のような伸びがない。
後方から迫力ある末脚で伸びてきたサイレントウィットネスに残り100m手前で交わされると、手応えを失って後退。0.7秒差10着に終わった。
結果としてこれが最後のレースとなった。
種牡馬として
レースの1か月後に陣営から引退と種牡馬入りが発表された。そして2006年から静内のレックススタッドで種牡馬生活をスタートさせた。2007年に馬産地巡りをした際に、レックススタッドでカルストンライトオに会っている。各種牡馬が広い敷地内のそれぞれの放牧地にいて、それを順次見ていく形式だったのだが、カルストンライトオもほかの馬と同様にのんびりと草を食んでいた。黒い馬体に派手な流星が鮮やかで、相変わらず目立つ姿だった。レースでは常にメンコをつけていたのだが、それでもその流星は目立ったので、どこにいるかすぐわかって便利だったことを覚えている。
カルストンライトオ 2007年9月19日 レックススタッド
しかし地方では、3頭の重賞勝ち馬を出している。
血統としては父ウォーニングの4代父のインテントがマンノウォーの直子で、マッチェムを通してゴドルフィンアラビアンにつながる。サラブレッドの3大始祖の中ではダーレーアラビアンの系統が圧倒的で、その意味では貴重な血統ともいえるのだが、後継馬を出すことはかなわなかった。
2015年でいったん種牡馬を引退したものの2018年には復帰。2020年までは細々と種牡馬生活を続けていたが、2024年2月7日に老衰のために死亡したことが、繋養されていた日西牧場から発表された。享年26歳。
競走馬としての総括
短距離の逃げ馬という脚質もあって、ハイペースで逃げてゴール直前で差されるというレースが多く、全体的に勝ちきれないという印象がある。しかしアイビスSDの鮮やかな勝ち方を見ると、芝の直線1000mという条件が最も合っていたのだろうと思われる。テンの速さとスピードを持続させられる距離が、うまくマッチした舞台だったということなのだろう。
また道悪適性もあげられる。6歳の脂の乗った時期に、G1が不良で行われるという幸運が、栄冠をつかむことができた1つの大きな要因だったと思う。
骨折などの大きな怪我はなかったが、4~6歳時にそれぞれ長期の休みを取らざるを得なかったのは、キャリアの面ではマイナスになった可能性はある。ただしそれによって長く現役生活を続けられたという面もあったと思われ、文字通り「人間万事塞翁が馬」を地でいったのかもしれない。