流星の貴公子テンポイントの生涯

著者 平岡泰博     出版社 集英社新書     

 流星の貴公子 テンポイントの生涯 (集英社新書)

    トウショウボーイ、グリーングラスとともに、TTG3強と呼ばれた、テンポイントの生涯をつづった物語。明るい栗毛と、鮮やかな流星で人気が高く、寺山修司の著作を始め、いろいろな本でも取り上げられているので、競馬ファンなら知らない人はいないだろう。
    残念ながら現役時代は知らないが、のちに脚を折った馬は死ななければならないということを初めて知ったということで、個人的にも印象深い馬である。

    著者の平岡氏は、関西テレビのカメラマンとして、「風花に散った流星~テンポイント物語」という番組を撮影するために、テンポイントの闘病生活を追い続けた。それを契機に知り合った生産者の吉田重雄氏への思いが、この本を書くきっかけになったという。

    テンポイントといえば、その一族の数奇な運命も有名である。祖母のクモワカは伝貧と診断されて殺処分となるところを関係者の努力で救われ、長い裁判を経て11年後にようやく名誉回復がされた。その娘のワカクモは亡霊の子といわれながらも、桜花賞を勝つなど活躍し、コントライトとの間にテンポイントを生む。亡霊の孫とよばれたテンポイントを含めて、3頭とも11勝をあげ、それも因縁めいた数字といわれている。
    このように一種陰のある話題には事欠かない一族に生まれながら、テンポイントの3歳時(現2歳)は、明るい前途への希望に満ちたものだった。デビュー3連勝で阪神3歳ステークスに勝ち、最優秀3歳牡馬に選ばれる。そして明け4歳(現3歳)になって2連勝と無敗の5連勝で皐月賞に臨むが、このあたりから暗転していく。
    厩務員ストの影響で1週延びて東京で行われた1976年の皐月賞。前週に仕上げ切っていたテンポイントは、永遠のライバルとなるトウショウボーイとの初対決に敗れる。その後ダービーは故障で、また勝ったと思った菊花賞は、まだ伏兵だったグリーングラスに内をすくわれてともに勝てず、クラシックは無冠に終わる。有馬記念もトウショウボーイに破れ、テンポイントの4歳は何もよいことがなかった。

    古馬になって、トウショウボーイのいない天皇賞(春)を勝って、ようやく8大レースのひとつを手に入れるが、宝塚記念ではまたもやトウショウボーイに3/4馬身及ばず2着。
    当時天皇賞に勝った馬はその後の天皇賞には出走できず、またジャパンカップも創設されていなかったので、必然的にトウショウボーイとの対決は、暮れの有馬記念となる。しかもトウショウボーイはそこで引退すると発表されていたので、文字通り最後の雪辱のチャンスとなった。
    1977年の有馬記念は、今に語り継がれる2頭のマッチレースとなるが、陣営のそして騎手の意地のぶつかりあいは、まさに手に汗握るものがある。名人といわれた武邦彦騎手騎乗のトウショウボーイと、それにゆさぶりをかける鹿戸明騎手のテンポイント。最初から最後まで2頭で先頭を走り、お互いしか見ていないレースは、まさに名勝負といっていい。

    最後のレースとなる日経新春杯は、ハンデ戦であり66.5kgを背負うことになった。海外遠征を控えて関西のファンに挨拶代わりの雄姿をみせたいという思いと、真冬に酷量を背負って走ることへの不安で、馬主も調教師も最後まで悩んだという。競馬会から壮行の花まで用意されて、結局出走に踏み切るわけだが、それが取り返しのつかない結果を招く。
    その後の43日間の闘病の記録は、涙無しには読めない。

    気骨の小川佐助調教師も、最後まで愛情を持ちながら毅然とした姿勢だった生産者の吉田重雄氏も、すでにこの世にはいない。そんな中、馬主の高田久成氏夫妻やその子息の治氏、山田幸守厩務員などに取材し、抑揚を抑えながらも迫力ある文章で、丁寧にテンポイントとその関係者の物語を綴っている。
    第1回開高健ノンフィクション賞を受賞したということだが、じんわりと胸にしみる好著である。