誰も書かなかった武豊 決断

著者 島田明宏     出版社 徳間文庫     

 誰も書かなかった武豊 決断 (徳間文庫)

    好きな騎手を1人あげてくださいと競馬ファンに聞いたら、さまざまな名前が上がるだろう。しかしあまり競馬を知らない人に、知っている騎手の名前を聞けば、間違いなく武豊という名前が一番になると思う。
    過去にもミスター競馬と呼ばれた野平祐二氏や、私が競馬を始めたころにリーディングの常連だった岡部幸雄氏など偉大な騎手はいたが、知名度も好感度も存在感も武豊にはかなわないと思う。

    その武豊を身近で取材し、海外遠征にはよく帯同して、プライベートも知る作家でジャーナリストの島田明宏氏が、「武豊はなぜすごいのか」ということを、二十数年間見続ける中で感じたことについて、具体的なエピソードを交えて紹介した本。筆者曰く「存在自体が『極上の物語』と言える名騎手」について、勝負に対する姿勢、結果の受けとめ方、目標の据え方、自身を評価する基準などが、折々の本人の言葉をもとに表現されている。

    物語は武豊のルーツや生い立ちから、競馬学校時代、デビューと続き、名馬たちとの出会いやその感想などがつづられる。
    また印象深いエピソードもたびたび語られ、中には半ば伝説となっている、意図的に出遅れたのではと言われる1989年桜花賞でのシャダイカグラの真相や、1990年有馬記念でのオグリキャップとのエピソード、1991年天皇賞(秋)でのメジロマックイーンの1位入線18着降着、1998年のサイレンススズカの速さとその最後、2005年のディープインパクトでの無敗の3冠制覇と翌年の凱旋門賞挑戦などが、本人の言葉をもとに紹介されている。
    その間の海外での騎乗は、筆者がサポートで同行することも多く、特に詳しい。日本とは異なる解放感とともに、現地での偏見とも思われる扱いや、それを覆して結果を残すことの爽快さなどの記述は、間近で見た人でしか書けないものだろう。

    しかしその騎手人生は決して順調だったわけではなく、たびたびの落馬事故による負傷などもあった。特に2010年3月毎日杯での落馬負傷の影響は長引き、ようやく復帰できたのは8月。しかし思うように勝ち星を伸ばせず、周りからは年齢のことを言われることが増えていった。2012年はトータル56勝で重賞はわずか3勝。かつては年間200勝をしたことがあるのが信じられないような数字だった。
    しかしそこから徐々に調子を戻し、2013年にはキズナでダービーを勝つ。インタビューで「ぼくは、帰ってきました」と高らかに宣言して復活をアピールした。その後もキタサンブラックとの活躍など、V字回復を果たす。

    本書の中では、数字にこだわらないとか、トレーニングなど努力している姿は人に見せないなど、彼なりの哲学というか美学のようなものが、たびたび紹介される。おそらく本人も武豊というブランドを大事にしているのだろうし、それこそがスターたるゆえんでもあると思う。
    かつてより、60歳まで現役のジョッキーでいたいと話しているように、まだまだ向上心は衰えていないだろうし、本当に騎手であることが好きなのだと、本書を読んでいるとよくわかる。ぜひこれからも、あの美しいフォームで、見ている人をわくわくさせるようなレースを見せてほしいと思う。