奇蹟の馬 サイレンススズカ

著者 柴田哲孝     出版社 ハルキ文庫    

 奇蹟の馬 サイレンススズカ

    最初の章は「衝撃」というタイトル。筆者がサイレンススズカの訃報を見たのは、ヨーロッパの取材旅行からの帰路の飛行機で読んだ日本の新聞記事において。そこで受けた衝撃から文は始まる。

    「卓越した競走馬の死は、一個の生命の終焉という単純な事実だけでは終わらない。」
    種牡馬としての可能性はもちろん、その卓越した能力を最大限に発揮したとき、はたして芝2000mをどれだけのタイムで走れるのかということを、永遠の謎として残していってしまった。
    たしかに1998年天皇賞(秋)におけるサイレンススズカの走りは、見ている人みんなをわくわくさせるものだったし、1000m通過57.4のタイムを見た時は、その結果への期待感が最高潮に達した。それだけにその後のショックと落胆は、とてつもなく大きいものだった。

    この文の中で、筆者はサイレンススズカの競走生活を振り返り、成長する中で周りの人間の試行錯誤と努力に応えて、いかに競走馬としての能力を磨いていったかを丁寧に描写している。
    そのキャリアは決して順調なものではなく、3歳(当時4歳)時は大きな挫折を何度も味わっている。その原因はスタート難と折り合いがつけられないことにあった。それゆえに持てる能力を結果に結びつけることができなかったのである。

    そして転機になったのが、武豊騎手との出会いだった。香港で乗ってサイレンススズカの能力を知った武豊騎手が、それを最大限に発揮できるよう様々なトライと工夫をこらして教え込んでいった結果が、金鯱賞での目を疑うような大差勝ちであり、初騎乗の南井騎手に託しても宝塚記念を勝てるような、一流馬への成長だった。
    ハイスピードで逃げても途中で息を入れ、直線に入ると再加速して勝つすべを、馬自ら覚えていった。卓越したスピードと、それを持続して2200mを勝ちきるスタミナを兼ね備え、サイレンススズカはまさに理想のサラブレッドになったのである。

    それを証明したのがエルコンドルパサーやグラスワンダーを寄せ付けなかった毎日王冠であり、その最終形が天皇賞(秋)になるはずだった。
    筆者の言う「究極の史上最強馬」として臨んだレースで、戦うべき相手は「自分自身の可能性だけ」だったが、その結果を我々が見ることは永遠にかなわなかった。

    表題となったサイレンススズカのほかに、ツインターボ、メジロパーマー、ユキノビジン、ウオッカ、イクノディクタス、エアグルーヴとアドマイヤグルーヴ、ナイスネイチャ、ライスシャワー、サンデーサイレンスと、1990年代から2000年代を彩った印象的な馬たちについて関係者に取材をして、熱量のある文章でまとめられている。分量的にも読みやすく、飽きることなくそれぞれの馬の物語を知ることができるという意味で、一読をお勧めしたい。