競走馬私論 プロの仕事とやる気について

著者 藤澤和雄     出版社 祥伝社 黄金文庫   

 競走馬私論―プロの仕事とやる気について (祥伝社黄金文庫)

    どんな世界でも、成功するためには、あきらめないことと、こだわることが必要なのだと、この本を読むとつくづく思う。著者は、競馬をやる人なら、たいていはご存知のはずの、JRAトップトレーナーの藤沢和雄調教師。この本は、競馬にかかわり始めた学生時代の終わりから、タイキシャトルでジャックルマロワ賞を勝つ1998年までの半生を、競馬を中心にまとめている。

    いきなり単身でイギリスに乗り込む勇気もすごいが、ひたすら4年間競馬だけに打ち込んだイギリスでの経験が、藤沢師の今の成功の礎になっていることがよくわかる。それを象徴する言葉が、第一章のタイトルにもなっている、「ハッピーピープル メイク ハッピーホース」。
    これは厩舎の同僚に飲みに誘われたとき、少し躊躇した際に言われた言葉だが、馬しか話し相手がいなかった当時の藤沢師は、自分に欠けていることを、明確に一言で指摘されて、大きなカルチャーショックを受けたという。

    それ以来、調教師になってからも、馬の気持ちをまず考え、馬を幸せにするためには、いつもおおらかに笑っていられるような人間であることを理想としている。
    よくG1前のインタビューで、藤沢師が「馬にがんばるように、よく言っておきますよ」などと、にこにこ笑いながら答えているが、そのような姿勢もすべては、イギリスで学んできたことが基本になっていることがわかる。

    その後帰国して、中山競馬場の菊池一雄厩舎で調教助手となるが、イギリスと日本の差に大きなショックを受ける。いわく、日本の馬はみなやせていて、元気がない。それは飼い葉やトレーニングの問題だけではなく、そもそも人間の馬に対する愛情が欠けていることに問題があったという。
    たとえば厩務員が自分の都合に合わせて飼い葉をやるので、同じ厩舎でも満腹になった馬と空腹なままの馬がいる。そういう小さなストレスが積み重なって、人間不信になったりする。そんな日本の競馬界の実情を見て、調教師になるしかないと強く思うようになった。

    調教師になってからも、自由に馬が買えない庭先取引の慣習や、馬に乗らない厩務員の再教育、期待馬の故障など、さまざまな苦労を経て、リーディングトレーナーへの道を歩んでいく。その中でも馬の世話に時間と愛情をかけて、人間と馬の関係をよくするという基本は変えていない。

    よく、開業して数年はどんどん成績が伸びるが、そのあとはバッタリという調教師がいるという。最初は能力のある馬も少ないので人間が努力して成績を伸ばすが、上手くいき始めると、それが当たり前になり、伸び悩んでくると馬のせいなどにしてしまうのである。藤沢師はそうならないように、常に最初のころの失敗を教訓とし、馬に愛情をかけ馬の都合に合わせるという基本を守る。
    それが、調教では常に複数の馬で、追いきりも馬なりで行い、優勝のあとの記念撮影でも騎手を乗せないという、独特の姿勢につながる。

    調教師の考え方をまとめた本ということもあり、あまり馬券の足しになるような話はないが、常歩についてのくだりは、パドック派には参考になる。パドックなどで人が引いて歩く歩き方を常歩というが、これは競走馬の運動にも、またしつけにも大変良いという。
    ただしきちんと歩かせることが必要で、基本は人の足と馬の前脚が同じ位置で、かつ同じ歩幅でリズミカルに歩くこと。意外にきちんとできている厩務員は多くないらしい。

    確かに藤沢厩舎の馬はパドックでしっかり歩いていて、印象度が高い馬が多いのだが、それにだまされてはずすことが多いのも、つらいところである。