伝説の名馬 ライスシャワー物語

著者 柴田哲孝     出版社 角川春樹事務所 ハルキ文庫  

 伝説の名馬 ライスシャワー物語 (ハルキ文庫)

    1992年の菊花賞、1993年,1995年の天皇賞(春)を勝った、名ステイヤー ライスシャワーのドキュメント。
    伝説の名馬という冠は大げさな気もするが、G1を3勝し、そのすべてが3000m以上の長距離限定という、近年ではめずらしい純粋なステイヤーだった。

    ライスシャワーは、ミホノブルボンの無敗の3冠、メジロマックイーンの天皇賞(春)3連覇という偉業を阻んだヒール(悪役)というイメージと、悲劇的な最後というある意味対照的な要素がクローズアップされて、その評価は人によって分かれると思う。実際現役時代も決して人気があるという馬ではなかった。

    この本は、そのライスシャワーの誕生から、最後のレースとなった95年の宝塚記念のスタートの瞬間までを、情感豊かに描いている。
    ノンフィクションを書く場合に、やはり主人公の真実を知ってもらいたいと思うのが当然なので、思い入れも深くなるだろう。感情を抑えて書く人もいるだろうが、柴田氏はかなり思い入れがあるように伺える。そのため、やや脚色っぽい部分もないわけではないが、関係者への取材をもとに、周りの人々の気持ちも含めて、率直な伝記風読み物となっている。

    ミホノブルボンの無敗の3冠を願い、またメジロマックイーンの天皇賞(春)3連覇を期待して単勝馬券を買った身からすれば、ライスシャワーには複雑な思いがあった。しかもメジロマックイーンを破ったときにはあんなに強かったのに、そのあとは弱いメンバーを相手に実によく負けた。
    ステイヤーといっても、2000mを超えるレースで格落ちのメンバー相手なら、少なくても連対は確保して欲しいと何度思ったことか。
    しかし93年の天皇賞(春)がいかに過酷だったかは、この本を読むとよくわかる。ゴールを過ぎても的場騎手がムチを入れ続けた最終追い切りといい、ただでさえ細い馬が当日-12kgの430kgでの出走となったことといい、不安に思ったことをよく覚えている。
    あのレースで3コーナーすぎから、白いメジロマックイーンの後ろにすっとよってくる黒い馬体を見たときは、背筋が寒くなるような迫力を感じた。そして直線でのたたきあい。偉業が成し遂げられなかった無念さと、人馬一体となった気迫を見せられたことによる感動という複雑な感情を味わった。
    その後宝塚記念を勝ち、京都大賞典では2.22.7という京都2400mのレコードで走ったメジロマックイーンは、決して年齢的に衰えていたわけではない。それを渾身の力で破ったライスシャワーが、いかに気持ちで走る馬だったかということがわかる。
    その後のスランプも、ある意味燃えつきて気持ちが乗らなくなったという面が大きかったのだろう。

    長いスランプと骨折による休養を経て、95年の天皇賞(春)を勝つわけだが、2年前とは対照的な、ぼろぼろになっての勝利だった。3コーナーの手前で先頭に立ち、ひたすら逃げ込みをはかる。ばてて大きく失速したライスシャワーに、大外を一気に追い込んできたステージチャンプが並んだところがゴール。ステージチャンプの蛯名正騎手がガッツポーズするほどの僅差だったが、ライスシャワーがぎりぎり残った。
    結果的にこの精根尽き果たしたレースが、宝塚記念での悲劇の引き金になったのであろうし、柴田氏もそれを示唆している。
    しかしF1レーサーのアイルトン・セナとの共通点を上げたうえで、よくいわれるような「可哀そう」という言葉は合わないという。自分の意志で生き、自分の意志で戦った中で、必然的に起こりうるべき結末のひとつだったのである。
    「それを哀れみの念によって断ずることは、彼らの生き様そのものを否定することになる。」

    ライスシャワーの持ち上げ方など細かい部分にやや違和感を感じる部分もあったが、この考えは強い共感を覚えた。