競馬の世界史 サラブレッド誕生から21世紀の凱旋門賞まで

著者 本村凌二     出版社 中公新書    

 競馬の世界史 - サラブレッド誕生から21世紀の凱旋門賞まで (中公新書)

    考えてみると、人間はスピードを競うのが好きな動物だと思う。陸上競技には短距離から長距離までさまざまな走る速さを競う競技があるし、障害物を超えるハードル競技や、歩く速さを競う競歩もある。水泳やスキー・スケートもそうだし、自転車、船、オートバイ、車、飛行機などのレースもあり、移動手段で速さを競わないのは電車ぐらいではないだろうか。

    そしてもちろん馬の競走もある。おそらく人が馬に乗り始めたころから、スピードを競うことはおこなわれていただろう。そんな競馬の歴史を、古代から現代までまとめたのがこの本。著者は、「馬の世界史」の著者でもある東京大学名誉教授の本村凌二氏。専門は古代ローマ史だが競馬への造詣も深い。

    プロローグで自らのヨーロッパ競馬の観戦歴について紹介しているが、1年間の在外研究でロンドンに滞在したり、毎年のように休暇でヨーロッパ競馬を見に行く中で、日本馬初の海外G1制覇となった1998年のモーリス・ド・ゲスト賞でのシーキングザパールや、翌週のジャック・ル・マロワ賞のタイキシャトルを生で見るなど、たびたび歴史的なシーンに立ち会っている。
    もちろん2005年にディープインパクトが3位入線で失格となった凱旋門賞、ナカヤマフェスタとオルフェーヴルの2度の2着のシーンも現地で見ているという。

    そんな競馬の魅力は、心ときめく極上のドラマが作り上げられることだという。それは物言わぬ馬が主人公で、見る人がそれぞれ好きなようにドラマを作り上げられるということも大きいだろう。

    競馬が歴史上最初に大きく盛り上がったのは、いわゆる「パンとサーカス」のローマ時代だという。ローマ帝国が広い地域を支配することで長く平和な時代が訪れるが、そうなると人々は楽しみを求めるようになる。それが戦車競走で、サーカスとはその走路を表す言葉だという。当時は40万人もの人が熱狂したといわれ、その盛り上がりは現代の比ではないようだ。競馬が楽しめるのは平和だからこそだが、ある意味競馬とは平和の象徴ともいえるのかもしれない。

    その後、中世は細々と競馬が行われるが、近代になってヨーロッパの王侯貴族が楽しむようになって、再度盛り上がりを見せるようになっていく。最初は有力貴族が持ち馬を競わせる形だったが、そうなるとより速い馬への渇望が強くなり、スピードとスタミナを兼ね備えたアラブ系の馬を次々に輸入するようになる。サラブレッドの三大始祖と呼ばれる馬たちは17世紀末から18世紀にかけてイギリスに連れて来られ、それらの子孫たちがサラブレッドになっていく。

    競馬に賭け事は不可欠だが、これは貴族同士のマッチレースの時代からすでに行われ、常設競馬場ができてすそ野が広がっていくにつれて、民衆も参加するようになる。しかし当初は統括団体もないので不正が横行し、どの国でもたびたび政府によって禁止される事態となる。その解決方法としては、自主的な統括団体を作って管理する国と、政府が管理する国に分かれた。イギリスやアメリカは前者で、日本は後者になる。
    公正な運営が行われることで、競馬は徐々に市民権を得ることができ、現代の繁栄につながっていくのである。

    もう一つ、競馬の人気が高まっていくためには、話題となるスターが必要になる。イギリスでクラシックレースが成立し、3冠馬の価値が高まるとともにスターホースが生まれるが、それを各国でもまねて、レース体系が整備されていく。さらに古馬の大きなレースや国をまたいだ国際レースができることで、国対抗的な観点もできて、ますます盛り上がっていくことになる。現代においては、ヨーロッパやアメリカだけでなく、香港やドバイ、サウジアラビアなどでも国際G1レースがつくられて、競馬も世界的な盛り上がりを見せている。

    あとがきによると、筆者は専門書の執筆には数年かかることもあるそうだが、この本は楽しみながらわずか100日ほどで書き上げたという。趣味と実益を兼ねるというのは、うらやましい限りだと思う。
    数多くの有名馬が登場するために、やや羅列的な部分もあるが、競馬の歴史を概観するには格好の入門書だと言える。