競馬漂流記 では、また、世界のどこかの観客席で

著者 高橋源一郎    出版社 集英社文庫    

 競馬漂流記 では、また、世界のどこかの観客席で (集英社文庫)(PR)

    著者の高橋源一郎氏といえば作家として知られているが、個人的に好きな歴史番組によく出演されていたり、ドラマで俳優をやったりと多才な印象がある。そんな高橋氏が競馬好きなのは有名だが、この本を読むとその博識と競馬愛の深さに驚かされる。

    時代はまだジャパンカップを日本馬が勝つと大いに称賛された1990年代前半。サンデーサイレンス産駒出現前夜の日本の競馬も出てくるが、舞台は主に海外の競馬場や牧場だ。
    高橋氏は実に気軽に海外に出かけていって、外国の競馬記者や関係者に声をかけて知り合いになる。そして彼らと再会を果たすのが、ザ・ダービーの行われるエプソムであったり、調教や育成・セリも行われるニューマーケットだったり、凱旋門賞のロンシャンだったり、アーリントンミリオンのアーリントンだったり、メルボルンカップのフレミントンだったり、ケンタッキーダービーのチャーチルダウンズだったり、香港カップのシャティンだったり、そしてジャパンカップの東京だったりする。
    本人はつたない英語というが、ギャンブルは世界共通語なのだろう。血統や脚質や距離適性から、厩舎や騎手の力などさまざまな要素をもとに、それぞれの予想を繰り広げて馬券を買い、勝ったり負けたりを繰り返すのが実に楽しそうだ。
    そして世界の競馬界のビッグネームたちと気軽に交流した顛末や、どこで仕入れてきたのか競馬にまつわる痛快なエピソードを紹介したりしてくれる。

    中でも印象的なのは、当時はまだ大いなる冒険だった、日本馬が海外に挑戦する話だ。
    1994年の香港国際カップに出走したフジヤマケンザンに懸命に声援を送るが、4着に敗れる。来年こそという話を森調教師とするが、実際に翌年にフジヤマケンザンは香港国際カップを勝って、史上2頭目の海外平地重賞勝ち馬となる。
    1995年にサンタアナハンデに出走するためにサンタアニタに遠征したヒシアマゾンは、脚部不安で直前に出走を断念してしまう。それでも現地に出かけていって中野調教師や阿部オーナーをねぎらうのだが、レースでは実際の勝ち馬の3馬身前を走るヒシアマゾンのまぼろしを見たのだった。
    同じく1995年にアケダクト競馬場のG2ディスタフハンデに出走した岡部騎手騎乗のクロフネミステリー。極寒でガラガラの競馬場で現地の観客にどんな馬なのか聞かれ、ふつうに走れればいいレースをすると思うと答える。結果は3着で、クロフネミステリーはふつうに走って結果を出したのだった。
    そして1995年のケンタッキーダービーに出たスキーキャプテン。チャーチルダウンズを象徴する2本の尖塔のもと、マイ・オールド・ケンタッキー・ホームに送られて、日本調教馬として初めて走った。それがすべてのはじまりであり、マスターフェンサーやフォーエバーヤングに続いていくのだった。

    文芸評論家の北上次郎氏(競馬関係の著作のペンネームは藤代三郎氏)が解説で、「戦後に書かれた競馬エッセイのベスト1」と書かれているが、少なくとも世界的な視点で日本人によって書かれた競馬エッセイということであれば、その評価に大いに賛同したくなる本である。