著者 | 国枝 栄 | 出版社 | 講談社現代新書 |
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JRA美浦トレセン所属のトップトレーナーの1人である国枝栄調教師による著作。
国枝師といえば、アパパネ、アーモンドアイの牝馬3冠馬を育て、特に後者はJRAの記録となる芝G1 9勝という偉業を成し遂げた。そのため牝馬を育てるのが得意だと言われているが、本人は特にそういう意識はないという。
ブラックホークをはじめ、マツリダゴッホ、マイネルキッツなどのG1を勝った牡馬も手掛けており、本人は日本ダービーを勝つのが夢とのことだが、たまたまその機会に恵まれていないということなのだろう。
前半は国枝師の経歴と、調教師としての考え方、馬を育てるための戦略や哲学がまとめられている。その中で大きな転機となったのが、1984年の調教助手時代にJRAの研修で滞在したイギリスでの経験だという。イギリスでは日常の世話から調教、競馬まで、あくまで馬優先の姿勢が徹底されており、馬と人の信頼関係が確立されている。
これは藤沢和雄元調教師も同じような経験について著作で触れていたが、国枝師も藤沢氏の哲学や姿勢にあこがれ、大いに共感して強く影響を受けたという。
そして後半が、この本の肝ともいえる“提言”である。本の帯にも「覚悟の提言」と書いてあるが、今のままでは日本の競馬がダメになるという強い危機感が、この本を執筆した大きな動機になっている。
国枝師がJRAにおける大きな問題としてあげるのが、「東西格差」と「除外馬の多さ」の2点。
前者は美浦のトップトレーナーだからこその提言だろう。1988年を境に西高東低となり、勝利数の差は年間600にもなるという。
その大きな要因として国枝師があげるのが、まずは競馬場へのアクセス。美浦から当日輸送で行けるのは東京、中山の2場に対して、栗東からは京都、阪神、中京の3場。また美浦から関西に行く場合、首都圏の渋滞を考慮して午前4時に出発して8時間以上かかるのに対して、栗東から関東に行く場合は午前10時に出発しておおむね8時間以内で行ける。さらに美浦から小倉は16時間かかり、負担やリスクを考えると行くメリットがない。つまり輸送の負担の差が東西でかなりあるのである。
また坂路コースの距離差やウッドコースの差(美浦は1600m1本に対して栗東は1800mと2000mの2本)という設備の格差も大きいという。
それに対して国枝師があげる対策がなかなかユニークだ。例えば全調教師に美浦と栗東に同数の馬房を与えるというもの。管理は大変だろうが、使うレースに合わせて事前に輸送できるという意味では良いアイデアかもしれない。
あるいは栗東を一軍、美浦を二軍として、成績の良い厩舎を栗東に集めるという案や小倉を関西馬専用、新潟を関東馬専用とする案などなど。
後者は使いたい馬を使いたいレースになかなか出せないということで、日ごろよく聞く問題でもある。その原因としては、やはりレース数に対して所属する頭数が多すぎるということ。しかも抽選で出走馬が決まるという現行の制度では、力はあるのに運がない馬は、そもそも競馬に参加することができない。
その解決のためには、能力検定やレース結果から全馬にレーティングをつけて、それに基づいて出走馬を決めていく仕組みがいいという。そうすれば能力の足りない馬は除外され、実力のある馬同士のレースが提供でき、ファンの満足度も上がるだろう。
厩舎の労働環境改善や、よく言われるゲートボーイ導入など、さまざまな提言が競馬界内外からなされるものの、JRAの腰は重く、なかなか改善が進まない。
また馬だけでなく、勝てない騎手や調教師が存在できているのも、一見平等だが、力のある人馬による迫力ある真剣勝負を見せるという本質的な競馬の価値からみると、決して良いことではないだろう。
入口は狭くても、一度入ってしまえば安泰に暮らせるという、かつての日本社会でよく見られた光景は、今の時代では組織を弱める要因になるのではないだろうか。
そんなことを考えさせられる本でもあった。