サラブレッドはどこへ行くのか 「引退馬」から見る日本競馬

著者 平林健一    出版社 NHK出版新書    

 サラブレッドはどこへ行くのか 「引退馬」から見る日本競馬 (NHK出版新書)(PR)

    競馬を引退した馬の行く末を心配し実際に行動する人は、すでに1970年代からいたことを寺山修司の著作で知って驚いたのだが、引退馬の問題は最近になって大きく取り上げられるようになってきたと感じる。それは環境問題への意識の高まりや、ペットを家族の一員と考える人が大半となったこととも無縁ではないのだろう。

    そして競馬ファンならば、好きだった馬の引退後について気にする中で、必ず意識する問題だと思う。著者の平林健一氏もその一人で、子供のころから競馬に熱中していたのだが、18歳の時に好きだった馬をインターネットで検索した際に行方不明と表示されてショックを受け、葛藤したものの、大人になってから向き合おうとあえて蓋をしたという。
    その後映像ディレクターになった平林氏は、蓋を開けることを決心し、競走馬のその後を描く映画「今日もどこかで馬は生まれる」を制作して、引退馬問題にかかわることになっていく。

    馬は経済動物と言われ、いわゆる家畜の一種に位置付けられる。しかし食肉を目的とする肉牛や豚・鶏、牛乳や羊毛を目的とする乳牛や羊などとは決定的に違う面がある。
    特に競走馬は一頭一頭名前を付けられ、血統が管理されて活躍した馬の子や孫が新たに競走馬になることが繰り返され、有名な馬はニックネームがつけられたり、映像やグッズが販売されたりする。まさに「人が感情移入しやすい家畜」であるがゆえに、最終的に家畜として処理されることへの競馬ファンを中心とする違和感が、この問題の根本にあるという。

    本書は競馬に詳しくない人でも問題を理解できるように、日本での競馬の歴史や仕組み、さらに競走馬の誕生から競走生活の実際について解説した後、まずは引退後の選択肢について紹介する。しかし生まれてくるサラブレッドの数に対して、圧倒的に少ない需要に絶望的な気持ちになる。それは犬や猫と違って体が大きく、必要な飼料の量も多く手入れも大変なために、養育費用が多額になることも大きく影響しているだろう。
    それでも個人的にはホースセラピーには期待したいと思った。精神的に厳しい思いをしている人や身体的リハビリを必要としている人は決して少なくなく、それらに対処する手段としてホースセラピーには可能性があると感じられる。育成段階で人との信頼関係を深めてきたサラブレッドには、セラピーホースのポテンシャルがあるという。

    そして著者は、馬を引き取って屠畜場に渡す家畜商にも取材している。動物愛護の立場の人からは悪者扱いされることもあるが、自身の仕事への姿勢や事業の内情を正しく発信することが、誤解や偏見をなくすことにつながればと取材を受けたという。その仕事は食肉用に肥育することが中心だが、最後の時間がおだやかで幸せなものになるよう、環境や健康管理に心を配っているそうだ。
    その家畜商の「全ての馬を生かしておくことが幸せなのか」という言葉が筆者は心に残っているという。人の役に立つことが生きる条件になっている馬が、何をもって幸せなのかは、馬に尋ねることはできないし、人によって判断が分かれることだからだ。

    近年の引退馬をめぐる大きなトピックスとしては、JRAの調教師を引退した角居勝彦氏が石川県珠洲市に開設した引退馬を受け入れる「珠洲ホースパーク」や、アドマイヤジャパンがCMに出演したYogiboがネーミングライツ契約を行ったYogiboヴェルサイユリゾートファームなどが有名だが、同様の引退馬を活用する試みは各地で行われているという。
    そしてそれらに共通するのは、寄付などの善意のみで維持するのではなく、引退馬自らに稼いでもらう仕組みを作っていること。観光施設にしてお客さんに来てもらったり、グッズや映像をファンに買ってもらったりとさまざまな方法が模索されているが、持続可能なものにするためには、必要な取り組みだと思う。

    そしてJRAも手をこまねいているわけではない。引退馬のセカンドキャリア形成や養老・余生の機会拡充、馬の多様な利活用や馬事振興・乗馬普及などを目的に、一般財団法人サラブレッド・アフターケア・アンド・ウェルフェア(通称TAW)を2024年4月に設立させている。
    著者はTAWにもインタビューしているが、その中で気にしているのが引退馬を救ううえでの数値目標(どれだけ救えば問題解決といえるか)をどうするかということだ。頭数管理を行うことは全頭に埋め込まれているマイクロチップを使えば可能だが、それを行えば生産頭数を制限するという議論になるだろうし、それは馬産に、そしてひいては出走頭数に影響しかねないので、JRAとしては踏み込みにくいことなのだろう。

    生まれてきたサラブレッド全頭が生を全うするのが究極の理想だろうが、物理的にも経済的にもそれは不可能だと思う。そこで考えるのは優勝劣敗の弱肉強食の自然の摂理だ。体質が弱かったり走るのが遅い草食動物の個体は、肉食動物の餌食になる可能性が高く、生き続けるのは難しい。自然界は人が考える以上にシビアだ。
    それを考えれば、競走で実績を残せない馬が生き残れないという仕組みは、ある意味リーズナブルだともいえる。もちろん足の速さだけが生きる価値基準ではなく、例えば個性的だったり色や容姿がきれいということでファンがついて、自らの余生を全うできるほど収入を得られるならそれもいいし、人に従順でやさしく、セラピーホースに最適という資質で生き残っていくという手もあるだろう。もちろんそれに手を貸す人の存在が不可欠ではあるけれど。

    最後にこの問題にどう向き合っていくか、筆者ならではの考えがまとめられている。
    センシティブで長年業界ではタブー視されてきた問題なので、映画化に当たってはかなり苦労されたようだが、映画も含めた様々な取り組みにより、業界内の意識も少しずつ変わってきたという。今後もそれぞれのリーダーを中心とした取り組みにより、この問題が少しでも解決に近づくことを願ってやまない。