ディープインパクトの思い出

ディープインパクトが今日亡くなりました。
クビの具合が悪くて種付けを休止し、今年は療養するとは聞いていましたが、まさかそこまでのこととは思わず、来年にはまた元気になって新しい子供たちを競馬場に送り出してくれると思っていたのですが。

報道によると、7/28にクビの手術をして経過は良好だったものの、昨日(7/29)立てなくなり、今朝レントゲンを撮ったところ頸椎の骨折が判明し、回復が見込めないために安楽死の処分が下されたとのこと。まだ17歳と、これからの活躍も期待されていただけに、かなりショッキングなニュースでした。
月並みですが、ご冥福をお祈りしたいと思います。

ディープインパクトのレースで最初に大きな衝撃を受けたのは、デビュー2戦目の若駒Sでした。新馬の勝ち方が衝撃的で、そのビデオも見ていたのですが、新馬で強い勝ち方をしながらその後は普通の馬になっていった例もたくさん見てきたので、半ば懐疑的にレースを見ていました。
レースは7頭立ての少頭数で、ディープインパクトは後方につけます。縦長の展開でもずっと後方にいて、4コーナー手前で押すも後方のまま。やはり評判倒れだったかと思い、画面も前方の馬に切り替わりディープインパクトは画面からいったん切れます。しかし次に引きの映像になると、外からまさに次元の違う脚で追い込んできて一気に先頭に立つと、最後は抑えて5馬身差の圧勝。これはちょっと物が違うと、大きなショックを感じました。

その後は圧倒的な力を見せて無敗で3冠を制覇。スタートでよれて落馬しそうになりながら完勝した皐月賞、外から安定した末脚で力を見せつけた日本ダービー、長距離戦とは思えない切れる脚で圧勝した菊花賞。
シンボリルドルフの無敗の3冠に憧れながら、もう見ることはかなわないのではと思っていたので、とても感動したのを覚えています。

しかし年末の有馬記念では、意表を突いたルメール騎乗のハーツクライの先行策に初黒星を喫してしまいます。無敗の3冠制覇後の最初のJCで、カツラギエースの逃げを捉えられず初めて負けたシンボリルドルフと、戦績まで似ているのも印象的でした。

古馬になっても安定した強さを発揮して天皇賞(春)、宝塚記念を制して、夢の凱旋門賞に臨みます。この時はテレビでも特別番組が組まれ、多くの日本人が現地観戦に訪れるなど、ものすごい盛り上がりを見せました。当然個人的にもかなりの期待を持って、生中継を見ていました。
いつもと違って先行し、最後の直線、前の2頭を交わしていったん先頭に立ったものの、そこからいつもの伸びが見られません。懸命に粘って叩き合いに持ち込むも、最後は後ろから来た2頭に差されて3位入線(その後、禁止薬物が検出されて失格)。ディープインパクトでも勝てないかと、大きく落胆したことを昨日のように思い出します。

しかし帰国後は、またいつもの強いディープインパクトに戻ってJC、有馬記念と圧勝。シンボリルドルフに並ぶG1 7勝をあげて引退しました。
その後の種牡馬としての活躍は、父サンデーサイレンスを凌ぐのではというすごさ。2年目の産駒ディープブリランテから今年のロジャーバローズまで5頭のダービー馬を輩出したのを初め、クラシックはもちろん旧八大競走を産駒がすべて制覇しているのです。
勝っていないG1は、新設のホープフルSを除くと、高松宮記念とスプリンターズSの両スプリントG1と、フェブラリーSとチャンピオンズCの両ダートG1のみ。すばらしい種牡馬成績を残しながら、特定のカテゴリーでは強い馬を出せないというのも、特徴といえるでしょう。

今年は20頭ほど種付けをしたとのことで、それが最後の産駒となります(国内の産駒は数頭らしいですが)。種牡馬として覇を争ったキングカメハメハも今年引退し、令和になって競馬界も大きく変わっていく予感がします。しかし平成を彩ったディープインパクトの功績は、いつまでも色あせることはないでしょう。

最後に、在りし日のディープインパクトの写真を載せて、故馬をしのびたいと思います。

社台スタリオンステーションにて 2007年9月16日
社台スタリオンステーションにて 2007年9月16日
今は亡きトウカイテイオー(奥)とともに  2007年9月16日

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