なぜか牝馬が強いG1 ~ジャパンカップ

G1がある日の競馬場では、「G1データマスター」というさまざまなデータを紹介する短い番組が時々ターフビジョンで流れるのですが、今日その中の一つに牝馬の成績がよいというのがありました。実際に秋に行われる中長距離G1で見ても、天皇賞(秋)や有馬記念に比べて、牝馬の勝利数や勝率、連対率が高いのです。

ジャパンカップといえば現在は国内最高賞金を誇る、いわば最高峰のG1ともいえるのですが、その歴史を見てみると、意外と牝馬にかかわるトピックスが多いことに気が付きます。

まず記念すべき第1回(1981年)の勝ち馬は、アメリカの6歳(現5歳)牝馬メアジードーツでした。競馬の国際化をにらんで創設されたジャパンカップですが、競馬後進国日本で開催されるということで、当然トップクラスの出走はなく、盛りを過ぎた馬や実績に欠ける馬をなんとか集めたというのが実態だったそうです。
そのレースで、当時G2までの勝ちしかなくパドックでは牛のようだと笑った牝馬に、レコードを1秒も更新されたのは、関係者には相当なショックだったでしょう。

さらに、ひどいコズミで来日以来1度も時計を出さず、その代わりに日夜厩舎周りをひたすら歩かせて筋肉をほぐし、それだけで勝ってしまった第3回(1983年)のスタネーラ(アイルランド 6歳[現5歳])。
早めのペースを先行し、最後の直線はオグリキャップと壮絶な叩き合いの末に、当時の芝2400m世界レコードで勝った第9回(1989年)のホーリックス(ニュージーランド 7歳[現6歳])。

ところが日本の牝馬は第7回(1987年)にダイナアクトレス(5歳[現4歳])が3着、ヒシアマゾンが第15回(1995年)、ファビラスラフィンが第16回(1996年)、エアグルーヴが第17回(1997年)、第18回(1998年)と4年連続2着に入ったものの、勝利は遠いものでした。

その長い未勝利の歴史にピリオドを打ったのが、第29回(2009年)のウオッカでした。ダービーや天皇賞(秋)、安田記念で牡馬を打ち破ってG1を勝ったものの、JCは3歳は4着、4歳は3着と勝てず。しかしついに5歳でルメール騎手を背に1番人気に応えたのです。

それからは堰を切ったように日本の牝馬の活躍が続きます。翌2010年の第30回はブエナビスタが抜け出して1位入線したものの2着に降着。しかし第31回(2011年)は見事に雪辱を果たします。さらに第32回(2012年)はジェンティルドンナがオルフェーヴルとの叩き合いを制して勝つと、第33回(2013年)は連覇に成功。
そして今年、記念すべき35回はショウナンパンドラが後方から鋭い末脚を発揮して差し切り勝ち。過去10年で5頭目(実質6頭目)の日本牝馬の優勝となりました。

その活躍の理由はいろいろあるのでしょうが、個人的には牝馬の切れが生きる舞台というのが、大きいような気がします。ディープインパクト産駒の活躍が目立つのも、そういう理由からではないでしょうか。
ジャパンカップは鋭い末脚の牝馬を狙えというのが、しばらく続くような気がします。

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