あれから18年・・・・

昨日6/4は、ライスシャワーの18回目の命日でした。
実はFacebookのJRAの記事で思い出したのですが、未だに多くの方の心に残っているようで、たくさんのコメントが寄せられていて、改めて印象深い馬だったんだなと思います。

とはいえ、3歳(当時は4歳)春までは地味な存在だったのですが、距離延長が幸いして、日本ダービーでいきなりミホノブルボンの2着に劇走し、一躍注目を浴びます。さらに秋は菊花賞まで勝って、ミホノブルボンの無敗の3冠という夢をつぶす、ヒールの役割となってしまいます。

そんなライスシャワーがもっとも輝いたのは、93年の天皇賞(春)でしょう。
前年まで2連覇していた、長距離の絶対王者メジロマックイーンを相手に、ただでさえ小柄な馬が-12kgの420kgと究極の仕上げで臨んできたのです。
最終追い切りでは、ゴールを過ぎてもムチを入れ続ける的場騎手の姿に驚いたのを覚えています。
レースでは、3コーナーすぎから動いたメジロマックイーンの白い馬体を、まるで獲物を狙うハンターのように追って上がってくる黒い馬体は、今でも強く印象に残っています。
そして直線では、そのメジロマックイーンを突き放して、2 1/2馬身差の快勝。思えば、あれがライスシャワーの絶頂でした。

その後、秋に復帰するも、天皇賞(春)の究極の仕上げの反動か、見る影もないような惨敗を繰り返し、翌94年の日経賞で2着とようやく復活の目処がたち、天皇賞(春)連覇かと思いきや骨折が判明。休養に入ります。
この94年はナリタブライアンが3冠馬となり、有馬記念でも女傑ヒシアマゾンを抑えて圧勝したのですが、離れた3着争いを制したのは、久々の出走となったライスシャワーでした。このとき、来年はライスシャワー復活があるかなと、なんとなく思ったのを覚えています。

しかしそのことを思い出したのは、95年の天皇賞(春)の3コーナー手前で、ライスシャワーがセオリーを無視した早仕掛けで、ぐんぐんと馬群を引き離した時でした。有馬記念のあとも、人気で惨敗を繰り返し、すっかり忘れていたのです。
しかしその最後の直線は、2年前に颯爽とメジロマックイーンを下した姿とは程遠く、脚があがって息も絶え絶えという感じで、懸命にゴールを目指して走っていました。そして最後は、大外を追い込んできたステージチャンプと離れてほぼ同時にゴール。ステージチャンプの蛯名正騎手が思わずガッツポーズをするほど、ゴール前の脚色は違っていました。
そして写真判定の結果、ハナ差でライスシャワーが残っていたのです。

95年は、1月に阪神淡路大震災があり、阪神競馬場も大きな被害を受けて競馬開催ができない状況でした。そのため宝塚記念は場所を京都競馬場に移し、日程も1週繰り上げて6/4に行われました。
ファン投票の1位は、2年ぶりに天皇賞(春)を制したライスシャワーが選ばれました。しかし93年は宝塚記念を回避していたので、個人的には出ないのではないかと思っていたのですが、陣営は出走を決断します。その理由は、ファンに1位に選んでもらったということのほかに、たぶん得意の京都で行われるということもあったと思います。

あとから考えると、あの天皇賞(春)でハナ差で負けていたら・・・・、あるいは地震がなくて宝塚記念が予定通り阪神競馬場で行われていたら・・・・、あの悲劇はなかったのではとも思うのですが。

京都競馬場のライスシャワーの碑は、私も行った時には必ず訪れます。何年たっても、ちゃんと花が供えてあったりして、忘れられていないんだなと、ちょっとホッとしたりします。これからも、忘れられないように、語り継いでいきたいと思う馬の1頭です。

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